「サピエンス全史」とコロナウイルス

「サピエンス全史」とコロナウイルス

KEI(2020年5月6日)

 副題が「文明の構造と人類の幸福」とある「サピエンス全史」上下2巻(河出書房新社、ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳)は、次のようないきさつで私が知ることとなった。ハラリ氏はイスラエル人でヘブライ大学で歴史学を教えている。
 私には、現役時代に仕事の関係で親しくしていた他社の友人が何人かいる。この友人の一人から送られてきたメールにこの本の名前があり、推薦の言葉に添えて、A4判10数頁に要約されたものが添付されていた。このことがあってしばらく後の写真仲間との懇親会の席上でも仲間の一人がこの本を取り上げ、簡単にコメントした。  私は、その時点までこの本の存在は知らなかったが、このような偶然が重なると読まざるを得ない。他人が要約したものを読んでも意味がない、と友人の好意を横に置き、直ちにアマゾンに注文した。受け取った本の帯には「全世界で800万部突破!」「“衝撃の書”が語る人類の未来」「世界中で大絶賛!!」などと大書されていた。
 普段私が読んでいる分野と異なる分野の書物なのが理由か、翻訳本だからか、あるいは論理の進め方が私のそれと一致しない所為なのか、それとも使われている用語やその意味するところが具体的ではないのが間々存在することが理由なのだろうか、端的に私の知識不足が原因なのか、気が付くと文字面だけを追っているような読み方になり、何度か後戻りしつつ読んだことである。
 全体の半分ほど読んだところでやっと著者の思考について行けるようになった。
 スケールの大きなこの著書の内容は刺激的であり、かつ面白く示唆に富んでいる。しかし、ここで読後感を書くのは難しい。記憶に残っている文章を、その最初の章と最後の章から引用することにより、読後感に代える。
「歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前に歴史を始動させた認知革命、約一万二千年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五百年前に始まった科学革命だ」(上巻14頁)」と「唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。…私たちが直面している真の疑問は『私たちは何になりたいのか?』ではなく『私たちは何を望みたいのか?』かも知れない」(下巻263頁)である。
 そして、あとがきでは「神になった動物」のタイトルで「自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」と書く。
 ここまで書いた数日後に、この本の著者ハラリ氏が2020年3月15日付TIME誌に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」を知った。柴田裕之氏の訳をもとに概要を紹介する。
 歴史学者であるが哲学者でもある著者は、多くの人が新型コロナウイルスの大流行の原因をグローバル化に求め、この種の感染爆発が再び起こるのを防ぐためには、脱グローバル化しかないと言っていることに異議を唱え、「感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力だ」と主張する。そして21世紀に感染症で亡くなる人の割合は石器時代以降のどの時期に比べても小さいが、それは「病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が隔離ではなく情報であるためだ」とする。
 そして過去の歴史が「現在の新型コロナウイルス感染症について、何を教えてくれるのか?」という問題については「第一に、国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能である」こと、「第二に、真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成される」、そのためには「感染症の大流行に見舞われた国は、経済の破滅的崩壊を恐れることなく、感染爆発についての情報を包み隠さず進んで開示する」ことと答える。
 感染症について我々が認識すべき最も重要な点は「どこであれ一国における感染症の拡大が全人類を危険にさらすということ」だとし、「ウイルスとの戦いでは人類の世界とウイルスの領域との境界を守る必要がある」が、国家の単位で考えられた「境界はかなりの区間が無防備のまま放置されてきた」と現状分析する。
 そして、今日、人類が深刻な危機に直面しているのは「新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間同士の信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある」と言う。
 最後に「もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウイルスは倍増する。
 対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけではなく、将来現れるあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう」と締め括る。
「ハラリ氏の締め括りの意見に全面的に賛意を表したいと思う反面、“百年河清を俟つ”の危惧も抱く。黄河の水はともかくウイルスに対しての“河清”と言う名の緊密な国際協力が実現するには、人類が今後何回かのパンデミックを経験し、さらに百年を超える歳月を待つ必要があるのではないだろうか。人類の叡智によりがこの期間が短縮されることを願う。