万葉集「Man’yo Luster」

「万葉集 Manyo Luster」

KEI(2020年1月8日)

 Lusterは英和辞典では「光沢、栄光、名声」などの訳が付されている。著者がまえがきで「ことばの艶、ことばのluster」と書いているところを見ると、ここではlusterは「艶」を意味しているようだ。
 万葉集から200首強を選び、その英訳とその歌にふさわしい写真を付した400頁ほどのリービ英雄、井上博道、高岡一弥による書物「万葉集 Man’yo Luster」(2002年、ピエ・ブックス)である。
 万葉集を英語に訳せるか、英語に訳したときに微妙なニュアンスや言外の意味を読み手に過不足なく伝えることができるか、疑問を抱きつつもそれぞれの歌に添えられた叙情的な写真が気に入り、購入したものである。
 この本では、柿本人麻呂の「淡海の海 夕波千鳥汝が鳴けば 情もしのに古思ほゆ」は「Plover skimming evening waves on the Omi Sea, when you cry so my heart trails like dwarf bamboo down to the past」である。直訳すると「近江の海の夕波をかすめてゆく千鳥、お前がそのように鳴いていると私の心は過ぎ去った昔へと小笹のように落ちて行く」となるのだろうか(久し振りの英文和訳なので自信はない)。
 英語が堪能ではない私にはもとの歌の情がどのように取り入れられているのかよく分からない。
 そもそも日本語の和歌を英語に移すのは無理があるのではないか、と思い始めたところ、外国の詩を見事に日本語に翻訳している、中学・高校時代に習った二つの事例に気が付いた。上田 敏の「海潮音」の中の「秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し…(以下略)」(落葉、ベルレーヌ)や井伏鱒二の「厄除け詩集」の中の「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(勧酒、于武陵)である。いずれも「日本の詩歌28訳詩集」(1969年、中央公論社)にある。
 フランス語や中国語ではどのようなニュアンスなのかは判らないながらも、日本語訳の見事さとそこに含まれた言葉を越えた情は理解できる。ということは日米両国語に堪能なそして詩心のある人物が万葉集を訳せば、単なる意訳以上の情を込めた英語の和歌となるのだろう。そして英語で育った人物が1200年以上の昔の日本人の心を感じることの一助になるのだろう。添えられた写真はそのための補助線の役割を果たすのだろう。こう結論付けた。