「うちの美術館」と「ユニークな美術館めぐり」
私の主観的判断では、私自身は同年輩の平均的な男性に比し、美術館を訪問した頻度、美術展に行った回数は比較的多いのではないかと思っている。美術館に行くのは好きだし美術展を見るのも好きだが、新聞社等が主催または共催し、百数十点の作品が展示されている公立の大きな美術館での展覧会は、世界の宝とも言える作品を鑑賞できるチャンスが多いが、いろんな意味で「疲れる」ので最近では「ちょっと遠慮したい」気持も生ずる。
とは言いつつも先日は、大阪市立美術館の「ルーブル美術館展」や国立国際美術館の「バベルの塔展」に行った。
このように書いたからといって絵画や美術品に対し造詣が深いわけではなく、その知識は表面的で薄っぺらであることは本人がいちばんよく理解している。
私が比較的好きなのは、個人の収集から始まった絵画や美術品を展示している比較的小さな個人美術館である。
この私の考えにぴったりと合った美術館案内本が「うちの美術館」(1993年、新潮選書)である。この本は、かつて朝日新聞日曜版に掲載された「うちの美術館」が書籍化されたものであり、「個性的でキラリと光る美術館」がそれぞれ3~4頁で紹介されている。
東京で単身赴任生活をしていた時代には、土曜日は会社に出て仕事をし、日曜日の午前中はこれらの美術館で優雅なひとときを過ごし、午後はスポーツクラブで仲間とラケットボールを楽しむのをルールとしていた。特に意識したわけではないが、この頃は公立の美術館や博物館を含めてかなりの数の美術館、博物館を制覇(?)した筈である。
「うちの美術館」と同様に朝日新聞日曜版に連載された「ギャルリ・ユニーク」を基にした「ユニークな美術館めぐり」(1985年、新潮選書)も面白い。「『ユニークなねらい』をもち、その方針にふさわしい美術品を見せてくれるところ」という切り口で87の美術館が選ばれている。
私が好きで何度も訪れている山種美術館などは双方で紹介されている。そして、現在はリビングの本棚の特等席に各種の辞書と並んで置かれているこれら2冊の書物には何点かのパンフレットや入場券の半券が挟まっている。特に意識して保存した訳ではないため処分すればいいのだが、何となく躊躇って現在まで残っている。
とは言いつつも先日は、大阪市立美術館の「ルーブル美術館展」や国立国際美術館の「バベルの塔展」に行った。
このように書いたからといって絵画や美術品に対し造詣が深いわけではなく、その知識は表面的で薄っぺらであることは本人がいちばんよく理解している。
私が比較的好きなのは、個人の収集から始まった絵画や美術品を展示している比較的小さな個人美術館である。
この私の考えにぴったりと合った美術館案内本が「うちの美術館」(1993年、新潮選書)である。この本は、かつて朝日新聞日曜版に掲載された「うちの美術館」が書籍化されたものであり、「個性的でキラリと光る美術館」がそれぞれ3~4頁で紹介されている。
東京で単身赴任生活をしていた時代には、土曜日は会社に出て仕事をし、日曜日の午前中はこれらの美術館で優雅なひとときを過ごし、午後はスポーツクラブで仲間とラケットボールを楽しむのをルールとしていた。特に意識したわけではないが、この頃は公立の美術館や博物館を含めてかなりの数の美術館、博物館を制覇(?)した筈である。
「うちの美術館」と同様に朝日新聞日曜版に連載された「ギャルリ・ユニーク」を基にした「ユニークな美術館めぐり」(1985年、新潮選書)も面白い。「『ユニークなねらい』をもち、その方針にふさわしい美術品を見せてくれるところ」という切り口で87の美術館が選ばれている。
私が好きで何度も訪れている山種美術館などは双方で紹介されている。そして、現在はリビングの本棚の特等席に各種の辞書と並んで置かれているこれら2冊の書物には何点かのパンフレットや入場券の半券が挟まっている。特に意識して保存した訳ではないため処分すればいいのだが、何となく躊躇って現在まで残っている。
(2019年6月追記)
この稿を事務局に届けてから半年ほど経った頃、1冊の美術館案内本の存在に気が付いた。BS11で放映されているドキュメンタリー「フランス人がときめいた日本の美術館」の元になっている同名の書籍(ソフィー・リチャード著、山本やよい訳、集英社インターナショナル)である。テレビで視るまでは寡聞にしてその存在を知らなかったが、美術愛好家の間ではかなり以前から人気があった書籍のようだ。さっそく買い求めた。
「美術館そのものがアート」(ソフィー・リチャード)である隈研吾の設計になる那珂川町馬頭広重美術館や磯崎新による奈義町現代美術館などの紹介もある。この2つを含めて私の知らなかった地方の美術館も紹介されており、興味深く読むとともに、これらの美術館訪問を兼ねてその地方を旅したいと思ったことである。
その佇まいを含めて私が大好きで何度も訪れた、靴を脱ぎスリッパに履き替える(当時)浮世絵専門の太田記念美術館が紹介されているのは、ジャポニスムを持ち出すまでもなくソフィ―さんが「ときめいた」理由が何となく推測できそうだ。
この稿を事務局に届けてから半年ほど経った頃、1冊の美術館案内本の存在に気が付いた。BS11で放映されているドキュメンタリー「フランス人がときめいた日本の美術館」の元になっている同名の書籍(ソフィー・リチャード著、山本やよい訳、集英社インターナショナル)である。テレビで視るまでは寡聞にしてその存在を知らなかったが、美術愛好家の間ではかなり以前から人気があった書籍のようだ。さっそく買い求めた。
「美術館そのものがアート」(ソフィー・リチャード)である隈研吾の設計になる那珂川町馬頭広重美術館や磯崎新による奈義町現代美術館などの紹介もある。この2つを含めて私の知らなかった地方の美術館も紹介されており、興味深く読むとともに、これらの美術館訪問を兼ねてその地方を旅したいと思ったことである。
その佇まいを含めて私が大好きで何度も訪れた、靴を脱ぎスリッパに履き替える(当時)浮世絵専門の太田記念美術館が紹介されているのは、ジャポニスムを持ち出すまでもなくソフィ―さんが「ときめいた」理由が何となく推測できそうだ。