「拾い読み」と「積読」
「教科書や参考書は、注を含めて隅から隅まで、最後の奥付まできっちりと読むものだ」と教えられたのはいつ誰からだっただろうか。何かの本で読んだのだろうか。
私の頭の中には今でもこの教えが根強く残っており、ある特定の知識を得るための書物や単なる娯楽のための本についても、必要な部分だけを読むことや適当に飛ばして読むことに何かズルをしているというか、いささか大袈裟であるが罪悪感を覚えていた。だからと言って、今まで全ての書物を丁寧に読んでいた訳ではない。調べたい部分だけを読んだり、面倒な議論部分を飛ばし結論だけを読んだり、面白いところだけを読んだりしたことも多い。ただ全部を読まなかった書物は、私の頭の中では、読んでいない書物に分類されている。
知命を過ぎた頃から、書物は全部を読む必要はなく自分が必要だと思ったところだけ読めばいい、読み始めて「つまらない、くだらない」と感じた書物はそれ以上を読む必要がない、と考えを改めた。
この決心が、選んだ書物、読み始めた書物は隅から隅まで読む、全部を読まなければならない、という呪縛から私を解き放ってくれたようだ。ただ、自分が必要と思ったところだけを読むということは、著者の言わんとするところやその考え方を誤解する虞もあること、さらには自らの考えに一致しているところ、自分にとって快い意見だけをつまみ食いする危険性もあることには注意しなければならないということ、は自覚している。
新聞や雑誌の場合は、ほとんどの読者は必要な記事だけを選んで読んでいるに違いない。短時間に作られる新聞や雑誌の記事と時間をかけて言葉を選び、慎重に書かれた書物の内容とを同じように考えることには、私自身強い抵抗があるが、全ての活字に目を通す必要はない、という程度の整理には一つの例となる。
読み方の一つの方法ではないが、“積読(つんどく)”という言葉がある。実際に読まなくても自らの周りに本を積み上げておけば、そこから知識が滲み出て、自らの知識や思考に好影響を与えるそうだ。この言葉の意味を現実的に考えてみると、身近に書物を置いておけば、折に触れて手に取り頁を繰り、場合によっては適当なところから読み始めるということが、しばしば起こる。積読の効果、効能を説く人はこのことを言っているのだろう。
私の机の上や机の周りには常に10数冊の新旧・雑多な書物が積み上げられている。
目が悪くなり、新聞を読むのも面倒になっている現在の私の場合、拾い読みと積読がこれからの読書の本流になりそうだ。しかし、読書記録には通読した書物だけを書くことには変わりはないだろう。
私の頭の中には今でもこの教えが根強く残っており、ある特定の知識を得るための書物や単なる娯楽のための本についても、必要な部分だけを読むことや適当に飛ばして読むことに何かズルをしているというか、いささか大袈裟であるが罪悪感を覚えていた。だからと言って、今まで全ての書物を丁寧に読んでいた訳ではない。調べたい部分だけを読んだり、面倒な議論部分を飛ばし結論だけを読んだり、面白いところだけを読んだりしたことも多い。ただ全部を読まなかった書物は、私の頭の中では、読んでいない書物に分類されている。
知命を過ぎた頃から、書物は全部を読む必要はなく自分が必要だと思ったところだけ読めばいい、読み始めて「つまらない、くだらない」と感じた書物はそれ以上を読む必要がない、と考えを改めた。
この決心が、選んだ書物、読み始めた書物は隅から隅まで読む、全部を読まなければならない、という呪縛から私を解き放ってくれたようだ。ただ、自分が必要と思ったところだけを読むということは、著者の言わんとするところやその考え方を誤解する虞もあること、さらには自らの考えに一致しているところ、自分にとって快い意見だけをつまみ食いする危険性もあることには注意しなければならないということ、は自覚している。
新聞や雑誌の場合は、ほとんどの読者は必要な記事だけを選んで読んでいるに違いない。短時間に作られる新聞や雑誌の記事と時間をかけて言葉を選び、慎重に書かれた書物の内容とを同じように考えることには、私自身強い抵抗があるが、全ての活字に目を通す必要はない、という程度の整理には一つの例となる。
読み方の一つの方法ではないが、“積読(つんどく)”という言葉がある。実際に読まなくても自らの周りに本を積み上げておけば、そこから知識が滲み出て、自らの知識や思考に好影響を与えるそうだ。この言葉の意味を現実的に考えてみると、身近に書物を置いておけば、折に触れて手に取り頁を繰り、場合によっては適当なところから読み始めるということが、しばしば起こる。積読の効果、効能を説く人はこのことを言っているのだろう。
私の机の上や机の周りには常に10数冊の新旧・雑多な書物が積み上げられている。
目が悪くなり、新聞を読むのも面倒になっている現在の私の場合、拾い読みと積読がこれからの読書の本流になりそうだ。しかし、読書記録には通読した書物だけを書くことには変わりはないだろう。