お話し会とろうそく
長い間、お話し会に参加してきた。私は、「お話し」はやらないのでもっぱら聞き役、そして会場の反応をもとにして感想を伝える役だった。
住所を移してからもお話し会に参加している。こちらのお話し会で違和感を持ったことが、お話し会でろうそくを使うこと、だった。
会の始まりに、このろうそくは「お話しのろうそく」といって火がついたらお話しの時間が始まること、静かに耳をすますとお話しの世界に連れて行ってくれることの説明があり(この説明は、会によって少しずつ違う)お話しが始まっていく。
自分でも、この違和感は何だろうとずっと思ってきた。以前住んでいたところではお目にかからなかったことだったからという理由はもちろんだが、それだけではない気がしていた。
そこで、何かこの資料がないものかとネットで調べてみた。
あるページに質問者から、『 お話し会でろうそくを使うことについて、その起源や意味のようなことが知りたい。東京子ども図書館の機関誌「こどもとしょかん」に何か載っていないか探してほしい』というものがあった。それについて回答が載っていて、回答の提供が石川県立図書館と出ていた。私の疑問にも通じるために興味深く読んだ。それによると
住所を移してからもお話し会に参加している。こちらのお話し会で違和感を持ったことが、お話し会でろうそくを使うこと、だった。
会の始まりに、このろうそくは「お話しのろうそく」といって火がついたらお話しの時間が始まること、静かに耳をすますとお話しの世界に連れて行ってくれることの説明があり(この説明は、会によって少しずつ違う)お話しが始まっていく。
自分でも、この違和感は何だろうとずっと思ってきた。以前住んでいたところではお目にかからなかったことだったからという理由はもちろんだが、それだけではない気がしていた。
そこで、何かこの資料がないものかとネットで調べてみた。
あるページに質問者から、『 お話し会でろうそくを使うことについて、その起源や意味のようなことが知りたい。東京子ども図書館の機関誌「こどもとしょかん」に何か載っていないか探してほしい』というものがあった。それについて回答が載っていて、回答の提供が石川県立図書館と出ていた。私の疑問にも通じるために興味深く読んだ。それによると
起源は1960年代にアメリカの図書館でやっていたのを真似たのが、日本での始まりというところまで判明している。
『ストーリーテリング -その心と技-』の中に、ニューヨーク公共図書館のメアリー・グールド・デイヴィス主任(1882-1956)の指導のもとになされた「お話しの時間」について、テーブルに花が飾られ、「お願いごとのろうそく」と本が置かれたとの記載がある。
また、その著作に「お願いごとのろうそく」についての訳注があり、「ニューヨーク公共図書館で始められた習慣」等の記載がある。
『ストーリーテリング -その心と技-』の中に、ニューヨーク公共図書館のメアリー・グールド・デイヴィス主任(1882-1956)の指導のもとになされた「お話しの時間」について、テーブルに花が飾られ、「お願いごとのろうそく」と本が置かれたとの記載がある。
また、その著作に「お願いごとのろうそく」についての訳注があり、「ニューヨーク公共図書館で始められた習慣」等の記載がある。
回答者は、まず「こどもとしょかん」の確認をしたとのことだ。国会図書館の雑誌記事索引で収録分「(70号)[199607]~」を検索したが、見つけられなかった。
また、東京子ども図書館HPで、創刊号からの各号1タイトルの紹介があったのを参照したという。でも、ここにはこれ以上の確かな記事は見つけられなかったという。さすが、図書館の司書さんの仕事だと思った。
別のブログにお話会とろうそくのことが書かれていた。ニューヨーク公共図書館のアン・キャロル・ムーアがはじめて使い、日本では、東京子ども図書館から広まり、今ではあちこちのお話し会で導入に使われているようだ、との記事だった。このブログ担当者は、「実際使っているが子どもたちが集中してとてもいい」ということだった。
なるほど、ろうそく一つにもこんな歴史があるのだと感慨深く読んだ。では、私の違和感は何だろう。
考えるに、ろうそくの提示の仕方・火の付け方のような気がしてきている。『ろうそくの火をつけます。お話しの世界に入りましょう』の言葉の押しつけではいけないだろう。
その誘いかけの言葉や火をつける動き、そこに大きなワザが必要ではないだろうかと思う。『ストーリーテリング -その心と技-』でメアリー・グールド・デイヴィスさんは何を語っているか、読みたくなった。図書館で借りることにしよう。
先日、近くのお話し会に参加した。ろうそくに火をつけられ、その火をじっと見るに「聞き手よりも語り手にとってのろうそくの火」のような気もした。その火を横にして語り手が自らの語りの世界に入れるのではないかと。
そんな小道具がなくてもいい。心にぐっと入る語りを聞きたい。語り手と聞き手が一つの空間で一緒になり、共に呼吸するひとときを味わいたい。
「勝手なこと言って…あなたもやってごらんよ」そういう声も聞こえる。
また、東京子ども図書館HPで、創刊号からの各号1タイトルの紹介があったのを参照したという。でも、ここにはこれ以上の確かな記事は見つけられなかったという。さすが、図書館の司書さんの仕事だと思った。
別のブログにお話会とろうそくのことが書かれていた。ニューヨーク公共図書館のアン・キャロル・ムーアがはじめて使い、日本では、東京子ども図書館から広まり、今ではあちこちのお話し会で導入に使われているようだ、との記事だった。このブログ担当者は、「実際使っているが子どもたちが集中してとてもいい」ということだった。
なるほど、ろうそく一つにもこんな歴史があるのだと感慨深く読んだ。では、私の違和感は何だろう。
考えるに、ろうそくの提示の仕方・火の付け方のような気がしてきている。『ろうそくの火をつけます。お話しの世界に入りましょう』の言葉の押しつけではいけないだろう。
その誘いかけの言葉や火をつける動き、そこに大きなワザが必要ではないだろうかと思う。『ストーリーテリング -その心と技-』でメアリー・グールド・デイヴィスさんは何を語っているか、読みたくなった。図書館で借りることにしよう。
先日、近くのお話し会に参加した。ろうそくに火をつけられ、その火をじっと見るに「聞き手よりも語り手にとってのろうそくの火」のような気もした。その火を横にして語り手が自らの語りの世界に入れるのではないかと。
そんな小道具がなくてもいい。心にぐっと入る語りを聞きたい。語り手と聞き手が一つの空間で一緒になり、共に呼吸するひとときを味わいたい。
「勝手なこと言って…あなたもやってごらんよ」そういう声も聞こえる。