ネパールの文庫

ネパールの文庫

ネパールの魔女 桜井ひろこ(2018年8月8日)

『年に5ヶ月出るビザを使って、ネパールに滞在したい。年を越えたら10ヶ月のビザになる』
 それが、私のネパール滞在の夢です。
 しかしながら、故郷宮城の地での年老いた母との暮らしでは、その願いも叶いません。この数年は、1年に1ヶ月だけのネパール行きとなっています。
 来年の1月の終わりからネパールへ行く計画です。今、五つ目の絵本文庫づくりが始まっていて、その整備の仕事が待っています。五つ目の絵本文庫は、サチコール村の隣のチェトリカラック村に作りました。隣と言っても何百キロも離れています。
 日本の多くの支援でこれらの絵本文庫は、生まれていました。支援といっても「はい。どうぞ、作ってあげました」というものではありません。あくまで、村人達の希望に添う形で長い長い時間をかけて話し合い、「我らの村の絵本文庫」の意識が出ることを待つのです。そうでもしないと絵本文庫は長続きしないのです。チェトリカラック村の村人たちとどんな絵本文庫にするのか、具体的な話し合いをしていく計画です。
 私は、ネパールに行くと絵本文庫で貸し出し作業をするだけでなく、村にも飛び出します。紙芝居興行おばさんとなります。興行カバンと称したカバンには「日本から持って行った紙芝居」「爪切り」「自分用の救急用品」が入っています。
 村を歩き、人が一人でもいると思ったら、紙芝居興行のはじまりです。ドッコと称した作業用竹籠をひっくり返して台にします。そして、その台の上に紙芝居や絵本を置きます。あらかじめ、訳してもらったネパール語で私は読み出します。
 一人ずつ人が増えていきます。大人も子どもたちも寄ってくるのですが、前に座るのは必ず大人達です。子どもたちは、後ろに座って、じっと待っています。
 大人達に読み終わると、やっと子どもたちの番がきます。聞き終わった大人達は、帰るわけではなく、私の背後に立って、紙芝居を指さしながら夢中でおしゃべりを始めます。「私たちは、それを知ってるぞ」とばかりに自慢するのです。
 子どもたちの目の輝きは、どの村でも同じです。食い入るように紙芝居を見つめ、私のいい加減なネパール語の発音を時々笑って聞いてくれます。
 紙芝居を始めた頃、私の姿を見ると駆け寄ってきて、私のカバンの中をのぞき込む子どもたちもいました。大人だって、仕事を休憩して駆け寄ってきます。一日中、あちこちの村を紙芝居興行で歩くこともあるのですが、ずっとついてきた子どももいました。
 仲良くなっていくと、私のネパール語を直してくれるようになりました。私の「ネパール語教室」が始まり、私のここでの語学力は子どもによって伸びました。
 絵本文庫が各地にできてから、学校に通う子どもたちが増えてきたということです。学校の教師達の話です。家の労働力である子どもたちは、学校より家が大事とされて学校に行かせてもらえないこともありました。けれども、大人も子どもたちの喜ぶ姿や学ぶ姿にうたれたのでしょうか。嬉しいことです。
 絵本を持参するときには、いたずらに日本の文化を押しつけたくないという気持ちで選書します。限られた本の予算や寄付される本からの選書は、なかなか難しいことです。生きること・命のこと・自然のこと、そういうことを頭の中に入れて本を選びます。
 何十回、何百回と読まれて、ボロボロになった紙芝居や絵本に、愛おしさを感じます。
 毎日、新しい文庫への思いが膨らんできます。夢をいっぱいにして来年のネパール行きを楽しみにしています。新しい村でまた新しい取り組みができるかもしれません。