書架で出会えるもの
図書館のホームページなど、インターネットで検索していては出会えない本がある。
はっきりとした目的も持たず、ゆっくりと図書館の書架を眺めて歩くときは、自分の感性で知らず知らず取捨選択をしているのだろうが、その時々の気分でふっと手に取り、開いてみる本の中に、これはと思えるものがある。
そのようにして出会ったひとつが、ダニエル・タメットの「ぼくには数字が風景に見える」だった。
かなり前に出た本で、発刊された時はしばらく話題になったものだということを後で知った。
私は新刊の紹介というものを(広告の一種に思えてしまうのか、教えられるのを嫌うのか)、ほとんど読まない困った人間なのである。
読み始めてほどなく、アスペルガー症候群であり、サヴァン症候群でもある著者の世界が、何とはなしに分かるような気がしてくることの不思議。
タイトルの「数字が風景に見える」というのが、比喩でも言い回しでもなく、そのままの意味だということが分かることに先ず軽い衝撃がある。
数字そのものは個々の「数」を特定する記号であるが、彼には数字または数(かず)がそれぞれ固有の色を持つ印象的な姿として見えているということが(私はうまく言い表せていないが)そのままに信じられるのである。
この本には、最近の私には珍しく最後まで一気に読ませてしまう力があり、知り得たことに感動した。
その知識は単に私にとっては新しいということに過ぎないと思うので、特にそれを吹聴しようとしているのではないが、その一つがアスペルガー症候群(自閉症スペクトラムのひとつ)に対する認識である。
これまで私はこの症候群の、はっとするようなふるまい、こちらの意思の伝え方の難しさ、妥協することのないこだわり、というようなものを、本人が努力すれば少しでも改善できるものであるように思っていたことが皆無ではなかった。
ところがそれらの特質を持つことをこの症候群の人が認識すること自体がとても困難であることをはっきりと知ることができた。
それは著者が淡々と述べる(幼児の頃から、これまでの)体験や感じたことを私が理解することができたからだと思う。
これまで私はこの症候群を漠然としか理解していなかったために、如何にこの症候群の人に対して不寛容であったかを恥じたのである。
何を知りたいか、何について調べたいかだけで広がる世界には限りがある。
自分に不足しているのが何かも知り、謙虚にそれを受け入れたいと願う。
寺の住職をしている知人は毎月、門前に「今月の言葉」を書いている。
先月の次の言葉も印象に残った。
教わるのではなく
知ろうとすることです
はっきりとした目的も持たず、ゆっくりと図書館の書架を眺めて歩くときは、自分の感性で知らず知らず取捨選択をしているのだろうが、その時々の気分でふっと手に取り、開いてみる本の中に、これはと思えるものがある。
そのようにして出会ったひとつが、ダニエル・タメットの「ぼくには数字が風景に見える」だった。
かなり前に出た本で、発刊された時はしばらく話題になったものだということを後で知った。
私は新刊の紹介というものを(広告の一種に思えてしまうのか、教えられるのを嫌うのか)、ほとんど読まない困った人間なのである。
読み始めてほどなく、アスペルガー症候群であり、サヴァン症候群でもある著者の世界が、何とはなしに分かるような気がしてくることの不思議。
タイトルの「数字が風景に見える」というのが、比喩でも言い回しでもなく、そのままの意味だということが分かることに先ず軽い衝撃がある。
数字そのものは個々の「数」を特定する記号であるが、彼には数字または数(かず)がそれぞれ固有の色を持つ印象的な姿として見えているということが(私はうまく言い表せていないが)そのままに信じられるのである。
この本には、最近の私には珍しく最後まで一気に読ませてしまう力があり、知り得たことに感動した。
その知識は単に私にとっては新しいということに過ぎないと思うので、特にそれを吹聴しようとしているのではないが、その一つがアスペルガー症候群(自閉症スペクトラムのひとつ)に対する認識である。
これまで私はこの症候群の、はっとするようなふるまい、こちらの意思の伝え方の難しさ、妥協することのないこだわり、というようなものを、本人が努力すれば少しでも改善できるものであるように思っていたことが皆無ではなかった。
ところがそれらの特質を持つことをこの症候群の人が認識すること自体がとても困難であることをはっきりと知ることができた。
それは著者が淡々と述べる(幼児の頃から、これまでの)体験や感じたことを私が理解することができたからだと思う。
これまで私はこの症候群を漠然としか理解していなかったために、如何にこの症候群の人に対して不寛容であったかを恥じたのである。
何を知りたいか、何について調べたいかだけで広がる世界には限りがある。
自分に不足しているのが何かも知り、謙虚にそれを受け入れたいと願う。
寺の住職をしている知人は毎月、門前に「今月の言葉」を書いている。
先月の次の言葉も印象に残った。
教わるのではなく
知ろうとすることです