汚された図書館の本

汚された図書館の本

KEI(2018年5月30日)

 図書館の本を「汚す」ことに関する諸々を、思い付くまま書き留める。
 人から借りた書物は大切に取り扱い、書き込みをしたり、サイドラインを引いたり、何かの印を付けたりしないようにすることは常識であろう。頁に折り目を付けることも避けるべきである。ましてや特定の頁を破り取るなどという書物に対する非礼かつ野蛮な行為は論外である。これらは図書館から借り出した書物に関しても同じである。
 ところが、友人から借りた書物は丁寧に取り扱うが、図書館の本については「そうではない」「ちょっとぐらい汚しても許されるのではないか」と思っている人が多いのだろうか、この欄に掲載されたコラムでも、いろいろ指摘されている。
 曰く「非常に腹立たしい思いをするのは、短歌や俳句に鉛筆でチェックがされているのを手に取ったときである。語句に傍線を引いている個所まである」。この著者は、新聞の競馬あるいは競艇関係の欄を破り取る人物も目にしたようで、「座席で本を眺めていたら、辺りをはばかるような音でピリピリと紙を破る気配がした。見渡したら図書館の新聞を破っている男がいる」と書きつつ、皮肉を込めて、「情けないというより、新聞を買う金までも馬券か舟券に回したいという、潔いというか、徹底というか、ほほえましささえ感じられる光景に思えた」と書いていた。(mucaさん)
 また、「何かの食べかす」が挟まっている図書について「ゴミの多さにあきれて」「とうとう、ゴミ箱を横にしてゴミを掃除しながら読んだ」と書いている人もいた。この著者は私も好きだった作家の一人が亡くなった時に、「追悼である。どんなでもちゃんと読んでおかなければいけない」と、ゴミと格闘しながら最後まで読まれたようだ。そして「返却の時、一言お手紙を書いた」そうだ。(べーちゃんさん)
「書き込みをしたり、サイドラインを引いたり、何かの印を付けたりしたい」、と思うような本は図書館で借りるのではなく、自腹を切るべきであろう。それが嫌ならあるいは懐を痛めて買うほどの本でないと思い、図書館で借りるのなら、図書館の本に対してこれらの行為を行うべきでない。
 私自身は「食べかす」が「ゴミ掃除をしながら」読まなければならないほど挟まっているような本に当たったことはないが、頁に数多くの大きな折り目が付けられている書物にはよく出会う。
 この「折り目を付ける」行為については、自らを省みて偉そうなことは言えない。家で読んでいる時にちょっと気になったところがあれば、ポスト・イットを貼りつける。(ポスト・イットがまだ発明されていなかった頃には、細く切った紙切れを該当頁に挟み込んでいた。)ところが電車の中ではこれができない。頁数を記憶しておけばいいのだが、私は数字を覚えるのが苦手である。このような理由にもならない理由を付けて、頁の片隅を小さく遠慮がちに折り畳んだことが何度もある。
 書き込みについては、私はしたことがないが、もし気が付いたら私も同じようにしたくなるだろう、と思うような行為は何度か目にした。
最近2~3度目にしたのは誤植を訂正するつもりだろうか、鉛筆で小さく正しい言葉を遠慮がちに書いていたものだった。著者が間違った使い方をしている言葉を訂正している書き込みに出会ったこともある。辞書を引いて確認したが、明らかに訂正されている鉛筆書きの表現が正しくかつ適当だった。
 これらも図書館の本を「汚す」行為であるが、なんとなく私よりも前に真面目にこの書物に取り組んだ人物を身近に感じさせ、嫌な思いはしなかった。
 補足:この文章を書いて暫く経った頃、別の関心事からポスト・イットを調べているときに「図書館では蔵書にポスト・イットを使用しないよう利用者に求めているところもある」との文章に出会った。
 その理由は、ポスト・イットを剥がす際に図書の表面を剥ぎ落としてしまう危険があること、ポスト・イットを剥がした後に残ってしまう糊がカビ・虫喰い・シミの原因になること、にあるようだ。私自身はポスト・イットの使用についての注意事項など(会社関係の書類を含めて)今まで聞いたことがないが、もしこの注意喚起の文章を覚えておれば、次回に図書館に行ったときに当市の図書館での扱いを司書さんに聞いてみよう。