もう一つの「私の図書館」

もう一つの「私の図書館」

KEI(2018年5月16日)

 私は古本屋を「私の図書館」と勝手に思っていた。同じような意味でもう一つの「私の図書館」があったのをテレビ画面が思い出させてくれた。
 テレビ画面には友人宅(あるいは友人が借りている部屋だったかも知れない)を訪れた主人公が、その友人の書棚を勝手に漁り、数冊の単行本を取り出し「これ借りて行くね」と言っているところが映し出されていた。友人も快く「どうぞ」と応じていた。主人公はいつもこのようにして友人の書棚から本を借りているようだ。
 インスタント・コーヒーを入れるために2階にある私の書斎からリビング・ルームに降りてきてチラッと眺めたテレビに映っていたのがこの画面だった。
 この画面が、私に書誌学者の故谷沢永一氏の著作に書かれていた故開高健氏との書籍を巡る関係についての挿話の一つを思い出させた。二人が大学生の頃の話だったから昭和25年頃のことだろう。
 どのような話だったか、正確を期すために書庫から引っ張り出した谷沢氏の著作で確認した。谷沢氏は「母は出来損ないで読書好きの長男を溺愛し、乞う儘(まま)に臍繰りを与えたので、当時すでに私は相当な蔵書家であった」と書いている。そしてこれに続けて「開高健は忙しいアルバイト生活の僅かな時間を窃(ぬす)んで、日本文学全集や世界文学全集などの円本類を読破し、ヴェルレーヌを始めフランス文学の原書も所持していたが、さらに踏み込んでの本漁りを期していた。まことに絶好の適切な時期に、私の書斎が偶然ながら或る程度は応え得たのである」と。
 記憶というものは何かのきっかけがあれば蘇るものらしい。このテレビ画面と谷沢氏の文章が、私自身の友人との本の貸し借りや友人の書棚を我が書棚と同一視していた学生時代を思い出させてくれた。
 懐かしく思い出したのは、小学校6年生から中学・高校・大学時代を通じて、そしてそれぞれが職を得てからも折に触れて会っていた友人の書棚である。学生時代の彼の書棚には、ハヤカワ・ポケット・ミステリーの100番台の名著が全巻揃っており、その後に発行されたものもほとんど並んでいた。最初の頃は彼が「これは面白い」と言いながら選んでくれたのを読んでいたが、その後は作者と題名から適当に選んで持ち帰るようになった。
 自身の書棚にはシャーロック・ホームズ物以外には、ミステリーが並んでいない私が、欧米の古典的名作ミステリーについて、マニアの話について行けるのは、この経験があるからである。
 テレビ画面の主人公や開高氏は、それぞれ友人や谷沢氏の書棚を自らの「図書館」、それもその書棚の所有者本人の眼鏡にかなった書物だけが並んでいる「選りすぐりの書物だけの図書館」と思っていたのだろう。そして友人の書棚は私にとってミステリーの宝庫ともいうべき「私の図書館」であった。
 もう一つの「私の図書館」の話は以上で終わるのだが、はてさて、現在の私の書棚は、誰かにとって、この定義に当てはまるような図書館だろうか。まあ、それぞれの時期に私が関心を持ったり、良書だと思ったりしたものを選んで買っていたが、あくまで私個人の意見や見方の範囲内での選択であったことには間違いがない。選択が偏っていない、という保証はない。