対談がふんだんな本

対談がふんだんな本

muca(2018年1月24日)

 対談を本にしていることが(表紙を見ただけでは)分からないものがある。
 対談であることをはっきり示しているのは別だが、私はこういうものを一切読まない。
(油断して?)手に取り、内容がこういうものであれば直ちに棚に戻す。
  1. ○○ですか。そういうのは私は○○に思うんですよ。なぜかと言いますと、○○は・・(というように投げかけ)
  2. 私は○○は○○でしかありえないと思うから、○○なわけですよ。で、○○は・・(というように受けて、展開していく)
 私には、手を抜いて作られているとしか思えないのである。
 最初に端緒となるテーマを提示しておいて、そろそろこっちに振るか(または、少々脱線ぎみだな)などで、時々口をはさんだりする役目の者が、録音したのを元に原稿を作る。
 AとBの確認をとり、何度か修正して本にされる。
 と想像するだけだが(こんなに簡単ではないだろうが)、本というものは著者が自分で書くべきものだと思う。
 本人が組み立てた流れと論法で書きあげたものを読みたいのである。
 話が思わぬ方向に流れていくのを面白いという人もおられるだろうが、私はそういうバラエティー番組みたいな作りのものを本とは認めないのである。
「ああ言えばこう食う(集英社文庫)」は、2001年に発行された本だが、天真爛漫に語っているように見えるところに柔らかい巧さがある阿川佐和子と、知性豊かに技巧を凝らす檀ふみの往復書簡形式が面白かった。
 相手の欠点をあげつらうように見せて自分への攻撃材料もそれとなく提供しておくというエッセイの往復はいやみがなく、互いに言いたいことを言っているように見えて、緻密な連携がなされていることをうかがわせるような作品だと思ったものである。
 軽いやりとりのようにみえる作品であっても、それぞれの著者の一貫した思考がていねいに推敲されて作り上げられた本は読むに値すると思うのである。