彼岸花の咲く頃

彼岸花の咲く頃

けふばあ(2024年10月30日)

 散歩道の一つに相模川沿いの道がある。春は桜の通りとなり、秋はその裾が赤い彼岸花の帯になる。今、少し色あせてきたけれど、今年の遅い秋を告げてくれている。ツンとまっ直ぐ伸びた茎の先に真っ赤な細い花弁をクルンクルンとカールさせたこの花は、子どもの頃からなんとなくハッとさせられる花だった。「この花は毒だけな、採ってきたらいけんで。触ったら舌が曲がるけぇな。」
 祖母に言われて、ハッと思うけれど、遠巻きに眺めるだけの花だった。が、忘れられない花になったのは、30年前、若くして亡くなった友人との忘れられない思い出の花となってからである。
 草木染をしていて植物に詳しい共通の友人の知恵で、その球根をすりおろして小麦粉で練ってシップをするといいという。その友人と一緒に、まだ咲くには早い頃、ヒガンバナの根っこを求めて田上の田んぼの畔を探し回ったことがあった。
 楽しかった幼稚園行事や夜中までしゃべりまくったこと、下見と称して野山を走り回ったこと、大雪山登山、赤岳のコマクサの群生・・・たのしかったことと未だに残る哀しみと一緒に思い出す。

 私の大好きな作家のおひとり安野光雅さんの本に『野の花と小人たち』という画文集がある。40数年前に河原町駸々堂で見つけた本で、今、手元に2冊ある。友人の遺品となった本の一冊をいただいた。ノブドウ、レンゲ、ホタルブクロ、オオイヌノフグリ・・・どの花もそれにまつわる短文もとても美しい。その中の「ひがんばな」の所にこのように書かれている。
《…日本は負けた。そして私は、あの冷酷きわまりない軍隊から解放された。野間宏のかくように、兵隊は人間ではなかった。人間からつくった史上例を見ない生きものであった。いなかへ帰るこの道を行くことは、抜け殻のような兵隊から、少しずつ人間にかえろうとしていることでもあった。
何のうたがいも持たず、まったく当然のように老いた父母のもとへかえる…その道一面に彼岸花が咲いていた。その、何とやけつくような「赤い」花であったことか。ぶたれても泣かなかった私なのに涙が出た。花など、長い長い間、思っても見なかった。それを美しいと思う、人の心を、私はこの花がとりかえしてくれたのだと思っている。》
 安野光雅氏にとって、ヒガンバナは〈人の心〉を取り戻すきっかけになった花。私にとっては、友を生き返らせる花となっている。