童話で息抜き

童話で息抜き

muca(2025年1月15日)

 スリリングな小説というのは好きではない。そういう心理状態にさせる狙いで書かれたものは私には合わない。
 いわゆるサスペンスものがそうで、例えば図書館でも書店でも、文庫本のウラスジ(裏表紙のあらすじ)にその文字を見つけたら、開いてみようともしないのである。
 いかにも表現に技巧を凝らしていますというのが見え見えなのも品がなくて読む気がしない。それに、はっきりいって私は物語の筋など二の次で、的確で簡潔な表現を意識して書かれたものが好きである。

 新たに作り始めたホームページがあり、それに知人に頼まれているホームページの改訂も加わったので、その作業につい没頭してしまう。図書館へ本を返しにいった時に、無理やり休憩を挟むための息抜きによさそうな本はないかと棚を見て歩いた。

「ぼろ着のディック」(ホレイショ・アルジャー著、畔柳和代訳)を「文庫本にしました」というのが、選んだ3冊の中のひとつ。子ども向けに書かれた作品らしく、短くてわかりやすい文体が気に入った。設定は「汚れていてぼろをまとっていて、模範的ではないが一見して悪ガキではないことがわかる。人を騙さない、率直でごまかしがなく、自立心がある少年」というものである。

 間違いなく気楽に読めると思ったのだが、そのとおりで、パソコン作業の2回の休憩のときに解説まで読み終えてしまった。なんということか。息抜きがたったの2回ではなんにもならない。
 少年ディックが人に話すときに、皮肉っぽいユーモアが多いのは、著者アルジャーの性格がそのまま投影されているのだろう。

 … ニューヨークに不案内の誠実な老紳士にわざと間違った道順を教えたりした。あるとき、クーパー・インスティテュートを探し歩いている牧師にトゥームズ刑務所に行く道を教えた。そして牧師のあとをこっそりつけて、センター通りにあるあの大きな石造りの建物の正面階段を牧師がなんの疑いも持たずにのぼって、中に入れてもらおうとしている様子を見て、すっかり喜んだものだった。

 こういうのは「人を騙さない」範疇には入らないと思っているらしいアルジャーのゆるい道徳感には笑えた。
 ディックが向学心を持つきっかけとなる友人ができ、裕福で親切な大人に出会っていくという、次々に起こる偶然による幸運はまったくありえないストーリーなのだが、これがアメリカ文学の古典として今も読まれているというのが納得できる。
 不条理な世相、自分にとりついている不運や逆境にある者の心が折れない物語がつくられ続けていくことをうれしいと思う。