知りたかったと思える人に本で出合う
高峰秀子さんは、映画「二十四の瞳」を見て知っていただけで、読書好きでエッセイストでもあったとは、今さらながら自分の無知ぶりに驚く。
図書館で、「高峰秀子 暮しの流儀 完全版」を借りた。夫の松山善三、養女の齊藤明美も共著として名が挙げられているが、ハリのある高峰秀子の文章が心地よい。
図書館で、「高峰秀子 暮しの流儀 完全版」を借りた。夫の松山善三、養女の齊藤明美も共著として名が挙げられているが、ハリのある高峰秀子の文章が心地よい。
ある医師の研究によると、不良や犯罪者ほど姿勢が悪いという。それから姿勢に興味をもちはじめ、少年院の子供たちに正しい姿勢と歩き方の指導をしたら、みるみるうちに成績があがり、精神の健全さまで取り戻した少年がたくさんいたという。
私は子どもの頃、歩き方を母からよく注意されたものだ。大人になってから、実にみっともない歩き方をしていることに気がついたが、不良とまではいかなかったが、安定して成績が悪かったのはこのせいだったのか。
まず、鏡に向かってまっすぐ歩いてみることだ。そして自分の歩き方に点数をつけてみる。頭のてっぺんを糸でつりあげられ、おへそに長い棒が通っているつもりでスッスッと歩いてみると、なんとも気分がいいし、第一身体が疲れないことに気がつくだろう。そうなれば自然に立ち居振る舞い、身のこなしもスマートになる。「衣装は着るもの、着られてはいけない」というすっきりとした姿勢こそ、着こなし上手になるコツ。
私は着こなしがなっていない。見栄えのいいものを買おうとすると、高峰のいうとおり、服に着られてしまうのである。スーツなどを買いに行った時、店員に見てもらうのが恥ずかしくて、狭い試着コーナーに入るときは落ち着かなかった。
似たもの夫婦というが、私たち夫婦の性格は全く似ていない。
清潔で誠実で、気前がよくて男前で、つまり私と正反対の男がいないものかとキョロキョロしたら、やや類似品があったので今の夫と結婚した。案の定、私とは似ても似つかぬ性格なので、歯ごたえがありすぎて、頭にくることばかりである。以来、ことごとくはち合わせをしながら、なんとなく、でもないけれど、なんとなくみたいな顔をして一五年余もいられたのは、酒という潤滑油のせいではないか、とこのごろ思う。色も香も、年、一年と失せるばかり。あとは老女になるよりテがないからには「日が暮れるとは、酒がのめることとみつけたり」の心境である。
清潔で誠実で、気前がよくて男前で、つまり私と正反対の男がいないものかとキョロキョロしたら、やや類似品があったので今の夫と結婚した。案の定、私とは似ても似つかぬ性格なので、歯ごたえがありすぎて、頭にくることばかりである。以来、ことごとくはち合わせをしながら、なんとなく、でもないけれど、なんとなくみたいな顔をして一五年余もいられたのは、酒という潤滑油のせいではないか、とこのごろ思う。色も香も、年、一年と失せるばかり。あとは老女になるよりテがないからには「日が暮れるとは、酒がのめることとみつけたり」の心境である。
ユーモアのある文章が好きである。カタカナで書かれている箇所に何とはなしに注意をひかれるのは、彼女特有の書き方の特徴を感じとりたいという気分を自覚しながら読んでいるせいか。
酒が好きだった高峰がうらやましいと思いながら、煙草もかなり喫っていたというのには複雑な気持ちになる。
酒が好きだった高峰がうらやましいと思いながら、煙草もかなり喫っていたというのには複雑な気持ちになる。
人間、「忘れる」という恩恵がなかったら、もろもろの雑念に押しつぶされて死んでしまうだろう、というが、過去四十余年、自分なりにつみ重ねては忘れ、忘れてはつみ重ねてはきたものの、それにしても知らないことが多すぎる。時間を無駄にした、と、わが脳みその軽さが恨めしい。
ともあれ、時計の針は前へ進むばかりであと戻りはしてくれない。目ざまし時計の針にブラ下がって、ゆけるところまでゆくより他、道はないのである。
ともあれ、時計の針は前へ進むばかりであと戻りはしてくれない。目ざまし時計の針にブラ下がって、ゆけるところまでゆくより他、道はないのである。
どんどんデジタル化している今では思いつかないような表現に新鮮さを感じてしまう面白さ。
私は宗教を持たない。が、私は私だけの「神」を自分の心の中に持っている。
これは私も似たところがある。というより私など足元にもおよばない確固とした考え方を高峰は持っていたのだろう。彼女のエッセイをもっと読みたいと思う。