よそいきの本

よそいきの本

M・M(2025年4月16日)

さくら

 桜満開の日に個人宅に伺った。
 招かれて上がった部屋に書棚があり、思わず目はそちらに。

 図書館や本が好きな人であれば、コンパクトにまとめられた個人宅の蔵書コーナーは、心がときめくのではないか、と思う。少し控えめに目をやる。

「日本の民話」全集、「現代日本文学」全集、「日本古典文学」全集、「海外古典文学」全集・・・これらの全集は、知人が言う「よそいきの本」にあたるのだろうか。知人は過去に、整然と揃えられた全集は、客人の目をもてなすのだと言っていた。私はそのように考えたことがなかったので新鮮な表現だと思った。

 これらの全集があれば、年齢を問わず、幼児から楽しめる。まずは日本の民話を読み聞かせ反応をみながら大人も共に楽しむ。読書の入り口は民話。そして、興味が向けば、日本の近代や古典全集に。もしかすると海外古典全集と日本全集を行ったり来たり。目の前に本があれば、人はそれを手にとりパラパラとめくりたくなるものだ。少なくとも私はそうする。
 読書スタイルが見えるようだ。

 立派な全集をそろえた家の方は、ご自身の家庭で家族が読み、次の世代も読み得るようにと希望をつないで購入されたはず。その様子を想像するとなんだかワクワクする。例えば、まだ見ぬ「孫」が読む姿を想像するなど、購入者の方のお気持ちが尊い。

 しかし、手垢のついていない作家群の本もありそうだ。「よそいきの本」とは「おすましの本」でもあるのかと思うと、なんだか微笑ましくもある。

 そして、くるりと首をまわして次の書棚を控えめに見る。そこは主の趣味の専門書で埋められている。長年の本の収集で渋い色味である。さわるとパラパラと分離してしまいそうだ。古書である。聞くと50~100年前に発行されたもののようだ。

 それ以外の手にしてよいと了承を得た本に自叙伝がある。
 誕生から近年まで、想いのこもった文章に胸をうたれた。誰しもシナリオのない起伏にとんだ道を進む冒険者ではないか。その時その時、精一杯くふうをしながら乗り越え乗り越えて今があるとしみじみ思う。芳春から尊い本に出会った。