「乙女シジミの味」

本コラムでは、出久根達郎さんの作品について既に他の方が3つ書かれ、私も一つ書いたことがあるが、またまた書いてしまう。
「図書館を考える大津市民の会」の運営会議に参加しても、私は顔を出すだけのことである。前回は和邇図書館での開催で、山科駅で乗り換える普通列車を15分ほど待たなければならない。落ち着きのない私はこんな短い時間でも、ただぼんやりとしているのがもどかしい。つい3分後にやってきた新快速・敦賀行に乗ってしまう。これに乘っても、どうせ堅田駅で降りて次の普通列車がやって来るのを待つだけなのに、である。
出久根さんの「乙女シジミの味」を開いて立ったまま続きを読む。堅田駅で間違いなく降車できるよう、車内放送に注意するので座っていられない。
懐かしい人が…
「小鹿物語」以来、動物が死ぬ映画は、敬遠するようになった。それだけにベックさん主演のあの映画は、強烈に胸に焼きついている。
ベックさんは役者として大根だった、とテレビで識者が語っていて、私はそうは思わないが、仮に仰せの通りとしても、大根の魅力というものがある。大体、スターというのは演技力ではない。雰囲気である。いわく言いがたい味がにじみ出ていればよい。ベックさんの、人のよさそうな目と風貌を見るだけで、私は大満足である。
グレゴリー・ペックさんが亡くなられた。私は「小鹿物語」が印象深い。知人の子どものお供をして映画館に入ったが、ラストシーンで涙が止まらなくて弱った。
「小鹿物語」以来、動物が死ぬ映画は、敬遠するようになった。それだけにベックさん主演のあの映画は、強烈に胸に焼きついている。
ベックさんは役者として大根だった、とテレビで識者が語っていて、私はそうは思わないが、仮に仰せの通りとしても、大根の魅力というものがある。大体、スターというのは演技力ではない。雰囲気である。いわく言いがたい味がにじみ出ていればよい。ベックさんの、人のよさそうな目と風貌を見るだけで、私は大満足である。
自分と同じ思いの人がおられると楽しくなる。出演している姿を眺めているだけで十分な役者が私にも他に数人ある。
「傷」本をどうするか、「読み供養」をした
落丁・乱丁の「傷本」にひと通り目を通し終わった。心置きなく処分した。「読み供養」をしたわけである。
落丁や乱丁、破れや傷みのある本が納められている。捨てるに忍びなくて、とっておいたのである。とにかくも、ひと通り目を通した末に、別れを告げるべきではあるまいか。読んでやることが、本のしあわせというものではないか。
落丁・乱丁の「傷本」にひと通り目を通し終わった。心置きなく処分した。「読み供養」をしたわけである。
出久根さんは、こういう本を「傷本」と総称しているらしい。辞書にはなさそうな言葉に思うが、氏は古本屋でもあるから業界用語なのかもしれない。
私は残している本が僅かなのをいいことに、捨てる気になれないでいる。
私は残している本が僅かなのをいいことに、捨てる気になれないでいる。
タライ回しって何?
だから本来は、危なっかしい事柄をいう場合に使われるものでは、あるまいか。
私が知る盥回し芸は、仰向けに寝て足で盥を回す。回しながら、隣の者(彼も仰向けに寝ている)にその盥を回す。交互にやりとりをしたり、あるいは二人が自分の盥を交換しあう。見物人は落としはしないかと、ハラハラドキドキの思いで楽しむ。
だから本来は、危なっかしい事柄をいう場合に使われるものでは、あるまいか。
意味は知っているつもりだったが、分っていなかったということが分った。
「面倒な処理を嫌がって、順送りする」ことだと考えていたのは私の誤りだったかと思う。思うけれど、そういう意味に使われているのは確かな気がするが。
「面倒な処理を嫌がって、順送りする」ことだと考えていたのは私の誤りだったかと思う。思うけれど、そういう意味に使われているのは確かな気がするが。
名刺の住所を大きく
名刺は名前より、むしろ住所の表記が大事なのではあるまいか。少なくとも利用する者には、連絡先が一目瞭然の方がありがたい。肩書はどうでもよいのである。ついでに名前には読み仮名を振った。
同感である。私は文字を口頭で説明するのが面倒なのと、メモに書いて渡そうとしても読めるような字を書けないので名刺を作っている。肩書をたくさん入れるのが好きな人がいるが、私のは一切ない。
うちわと神輿
訪れた知人が目にとめた卓上のうちわは、熊本県伝統的工芸品と書かれた小さなラベルが貼られていた。数年前に、ある方からちょうだいしたもので、タトウに収められていたから安いものではなさそうだった。
誰でも知っていそうに書かれたこの「タトウ」が私には分らない。で、辞書を引く。このおかげで、タトウが何なのかをしばらくは覚えていられそうに思う。
私は文庫サイズの本を持って出るときは、何年も前に友人にもらったブックカバーをしている。太くて丈夫な紐の栞がついていて便利だ。
名物の宍道湖のシジミの別名を乙女シジミというのは、御留すなわち、藩主が捕獲を禁じたシジミから転化した名ということである。
表題に「乙女」があるこの本を読む姿は恥ずかしいので、なおさらカバーが必要なのだが、この漢字はまったくの当て字ではないか。なんと迷惑なことよと苦笑する。
この本を2/3ほど読み終わったところで、「乙女シジミの味」という項があって、やっと「乙女シジミ」の意味がわかった。
名物の宍道湖のシジミの別名を乙女シジミというのは、御留すなわち、藩主が捕獲を禁じたシジミから転化した名ということである。
表題に「乙女」があるこの本を読む姿は恥ずかしいので、なおさらカバーが必要なのだが、この漢字はまったくの当て字ではないか。なんと迷惑なことよと苦笑する。