午後三時のビール
午後三時のビールとは極めて魅力的な言葉である。
現役であった頃には、在宅勤務ならず休日の仕事として持ち帰った契約書の立案や検討作業が予定より早く終わったときに、午後三時のビールを楽しんだことがあった。リタイア後暫くの間は「このような時間にビールを飲むのはアルコール中毒の始まりかな」などと冗談を言いながらのんびりと気だるい時間を過ごしたこともある。いずれも勤務を終えて仕事仲間と行くビアホールでのビールとは一味違っていたように思ったことである。
手にした中央公論新社編の酒場作品集「午後三時にビールを」(中公文庫)で開巻最初に飛び込んでくる文章は、萩原朔太郎の「虚無の歌」である。それは「午後の三時。広漠とした広間(ホール)の中で、私はひとり麦酒(ビール)を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。暖炉(ストーブ)は明るく燃え、扉(ドア)の厚い硝子を通して、晩秋の光が侘しく射してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の数々」で始まっている。
この文章については朔太郎が自註で「……私は相当に言葉の音律節奏に留意した。ボードレエルのいう『韻律を踏まないで、しかも音楽的節奏を感銘づける文学』に多少或る程度まで近づけようと努力した。……」と書いているのを付記しておくべきだろう。
午後三時のビールというと私は池波正太郎の「食卓の情景」や「散歩のとき何か食べたくなって」などの書物を思い出す。池波正太郎もきっとこれらの本の中で日が高いうちのビールやお酒について書いているに違いない。彼がこれらの書物でどのようにそれらを描いているか、書庫に残された本を捜索した。ところが池波正太郎の著書は「剣客商売」全巻を除き全て処分済みだった。後ろ髪を引かれる思いでこれらを処分したことを思い出した。
この本「午後三時にビールを」に池波正太郎の文章として選ばれていたのは「藪二店」というタイトルのもので、彼が「まだ日が落ちぬうちに」飲むのは蕎麦屋での日本酒である。
この本に掲載された文章に現れるお酒は、日本酒が多く(燗酒、ひや酒、コップ酒、升酒等種々の表現で現れる)他には焼酎、泡盛、ウイスキイ、ジン、ウオトカ、キュラソ、ポオトワインなどなど。「午後三時にビールを」というタイトルには全く合致していない文章が並んでいる。羊頭狗肉ではないか、といささかの憤りと落胆を感じて読み進んだ。副題が酒場作品集とあるのでまあいいかと思いながらページを進めると向田邦子の「『ままや』繁盛記」が現れた。
これは「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店」を造ろうと考えた向田邦子が、店は妹にやらせ、自らは「資金と口は出すが、手は出さない。黒幕兼ポン引き兼気の向いた時ゆくパートのホステス」になった話である。店は繁盛しているが「夜原稿を書いていて店が気になって仕方がない。雨の日は特にそうである。ホステスとして出勤しようかなとウズウズする。ベンチを出たり入ったりする長島監督の気持がよく判るようになった」という一編にはお酒を示す言葉は何一つ現われない。これこそ「看板に偽りあり」だろうと思うが、面白く、かつ気に入った短編を知ったことで許すとしようか。
2023 年6月初版発行とあるこの中公文庫に掲載されている文章は初出が 1935 年から 2009 年までの作品であり、2点を除き全て 1900 年代のものである。過去に読んだことがある古き良き時代の酒場風景が描かれており、それはそれで楽しかったが、新しい出版物としてはこのような出版は如何なものか。取り上げた作品群について私にはそのコンセプトを理解できない。
現役であった頃には、在宅勤務ならず休日の仕事として持ち帰った契約書の立案や検討作業が予定より早く終わったときに、午後三時のビールを楽しんだことがあった。リタイア後暫くの間は「このような時間にビールを飲むのはアルコール中毒の始まりかな」などと冗談を言いながらのんびりと気だるい時間を過ごしたこともある。いずれも勤務を終えて仕事仲間と行くビアホールでのビールとは一味違っていたように思ったことである。
手にした中央公論新社編の酒場作品集「午後三時にビールを」(中公文庫)で開巻最初に飛び込んでくる文章は、萩原朔太郎の「虚無の歌」である。それは「午後の三時。広漠とした広間(ホール)の中で、私はひとり麦酒(ビール)を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。暖炉(ストーブ)は明るく燃え、扉(ドア)の厚い硝子を通して、晩秋の光が侘しく射してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の数々」で始まっている。
この文章については朔太郎が自註で「……私は相当に言葉の音律節奏に留意した。ボードレエルのいう『韻律を踏まないで、しかも音楽的節奏を感銘づける文学』に多少或る程度まで近づけようと努力した。……」と書いているのを付記しておくべきだろう。
午後三時のビールというと私は池波正太郎の「食卓の情景」や「散歩のとき何か食べたくなって」などの書物を思い出す。池波正太郎もきっとこれらの本の中で日が高いうちのビールやお酒について書いているに違いない。彼がこれらの書物でどのようにそれらを描いているか、書庫に残された本を捜索した。ところが池波正太郎の著書は「剣客商売」全巻を除き全て処分済みだった。後ろ髪を引かれる思いでこれらを処分したことを思い出した。
この本「午後三時にビールを」に池波正太郎の文章として選ばれていたのは「藪二店」というタイトルのもので、彼が「まだ日が落ちぬうちに」飲むのは蕎麦屋での日本酒である。
この本に掲載された文章に現れるお酒は、日本酒が多く(燗酒、ひや酒、コップ酒、升酒等種々の表現で現れる)他には焼酎、泡盛、ウイスキイ、ジン、ウオトカ、キュラソ、ポオトワインなどなど。「午後三時にビールを」というタイトルには全く合致していない文章が並んでいる。羊頭狗肉ではないか、といささかの憤りと落胆を感じて読み進んだ。副題が酒場作品集とあるのでまあいいかと思いながらページを進めると向田邦子の「『ままや』繁盛記」が現れた。
これは「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店」を造ろうと考えた向田邦子が、店は妹にやらせ、自らは「資金と口は出すが、手は出さない。黒幕兼ポン引き兼気の向いた時ゆくパートのホステス」になった話である。店は繁盛しているが「夜原稿を書いていて店が気になって仕方がない。雨の日は特にそうである。ホステスとして出勤しようかなとウズウズする。ベンチを出たり入ったりする長島監督の気持がよく判るようになった」という一編にはお酒を示す言葉は何一つ現われない。これこそ「看板に偽りあり」だろうと思うが、面白く、かつ気に入った短編を知ったことで許すとしようか。
2023 年6月初版発行とあるこの中公文庫に掲載されている文章は初出が 1935 年から 2009 年までの作品であり、2点を除き全て 1900 年代のものである。過去に読んだことがある古き良き時代の酒場風景が描かれており、それはそれで楽しかったが、新しい出版物としてはこのような出版は如何なものか。取り上げた作品群について私にはそのコンセプトを理解できない。
e>