トマス・フラナガンの短編

トマス・フラナガンの短編

muca(2025年9月24日)

本「アデスタを吹く冷たい風」

 先入観を持たずに読もうと注意する時があるが、しばらくは淡々と読んでいるだけで、書いてあることが頭に落ち着くのは時間がかかる。
 私にとって「アデスタを吹く冷たい風」はそういう本だった。トマス・フラナガンの七つの短編(宇野利泰 訳)。短編集には珍しく最初の一編がこの本のタイトルにされている。

 読み始めの一編にいきなり少尉や少佐が登場したが、軍人が警察の機能を担っていることが理解できたので、つまり推理小説なのだと分かる。こんな次第だから、まことにいきあたりばったりの選書である。

 本のタイトルにされた「アデスタを吹く冷たい風」という一編だが、葡萄酒を運んでいるように見せて、毎晩のように武器を密輸しているトラックがあるらしく、その証拠をつかもうとしている話ということは分かる。
 職業軍人の憲兵隊長であるテナント少佐を中心にした書かれ方がしているが、見栄えのよい人物として書かれているわけでもなく、彼が登場する4つの短編は全て、鋭いが気難しい短気な男という第一印象のまま変わらない。

 私は、犯罪を暴く手腕を示すのが著者の狙いなのか、登場人物の心理を描いてみせるものなのかは、いずれ分かるだろうと思いながら読んでいる。意識していないだけで、書かれていることの行きつく先を推理しながら読んでいるには違いないとは思うのだが、そういう努力はエネルギーの無駄遣いなので、ただ単に筋を追うのである。

 私が小説に簡単に感情移入しない読み方をするのは、作者に甘い読み方をしないように距離を置くようになったからだと思う。

 この本には次の順に短編が載せられているが、この中の上の4つはテナント少佐が登場するものである。
 作品の発表順というのでもなく、テナント少佐ものの短編だけでは足りないので、量的な体裁を早川書房が整えたのであろう(括弧内は原題、右端は発表年である)。

  • アデスタを吹く冷たい風(The Cold Wind of Adesta)1952年
  • 獅子のたてがみ(The Lion’s Mane)1953年
  • 良心の問題(The Point of Honor)1952年
  • 国のしきたり(The Customs of The Country)1956年
  • もし君が陪審員なら(Suppose You Were on the Jury)1958年
  • うまくいつたようだわね(This Will Do Nicely)1955年
  • 玉を懐いて罪あり(The Fine Italian Hand)1949年

 テナント少佐が登場する4つを読み終わっても、私にはその人物像がはっきり浮かばないが、特に物足りないとも思わない。未邦訳らしい「The End of the Hunt(1995年)」などの歴史小説も含めて高い評価を得ていることをなるほどと思わせる、突き放したような語りが醸し出す雰囲気に十分な迫力を、私に感じさせてくれたのである。