「糸暦」

「糸暦」

啓(2024年4月10日)

 図書館から「予約された資料を受け取れます」というメールが送られてきた。「最近は何も予約していないのに」と思ったが、内容を見ると小川 糸さんの「糸暦」(白泉社)だった。著者の小川 糸という名前を見て記憶が蘇った。
 半年以上前に送られてきたメールマガジンで新着資料としてこの本が紹介されていた。かつて面白く読んだ「ツバキ文具店」の著者の新刊小説だろうと思い、予約を入れたのだった。その時点で予約者は既に3桁になっていた。「忘れた頃に連絡があるだろう」と思ったが、本当に忘れた頃に連絡があった。
 受け取った「糸暦」は小説ではなく1テーマ3頁のエッセイであり、作者の余裕のある落ち着いた丁寧な生き方が書かれ、それぞれに趣味の好い乙女チック(と言っていいのだろうか、私には適当な言葉が思いつかない)な挿絵が添えられている。
 タイトルに暦とあるように卯月から始まり弥生で終わる1年の各月の生活を、主として食物に関する二つのエッセイで描写している。
「ラッキョウも、然(しか)り」「極力スケジュール帳は空(から)にしておく」「濃いめに淹(い)れたコーヒー」「後ろ姿に縋(すが)りつきたい」「いやが上(おう)にも気合が入ってしまう」などにルビが振ってあるのは著者の気持が何となく分かるが、最後の「上(おう)」というルビには疑問が残る。
 神無月ではそのテーマの一つに「栗ごはん」が取り上げられていた。

 あなどれないものに、栗がある。栗は、何にしてもおいしい。おいしいが、食べるのには難儀する。そもそも、あのイガが曲者だ。イガから外してもなお、おいしさに辿り着くまでには手間がかかる。
 幼い頃、運動会のお弁当は栗ごはんと決まっていた。その日が近づくと、母は方々の八百屋に顔を出し、どこの栗が一番よさそうかをチェックした。その栗を運動会の前日に入手し、夜、栗の皮を剥くのである。
 まずは鬼皮を剥がし、更に渋皮も丁寧に剥いていく。朝起きると、綺麗に剥き上がった栗の実が、水を張ったボウルの中で泳いでいた。
(中略)
 こんなに手間のかかる作業を、母は一言も文句を言わず、毎年やってくれていたのだ。母とは本当に色々あったけど、母が栗ごはんを作ってくれていたのは、ひとえに私が喜ぶからで、それこそが無償の愛だった。そのことに気づいた時、私は栗の皮を剥きながら、号泣した。

 この文章を読んで、この秋も栗ごはんが大好きな孫のために秋の夜長の食卓で同じ作業をしていた妻と、その横でそれを眺めて雑談していた私を思い出した。
 出羽三山を訪れる行者の宿として昭和初期に創業した山菜料理の老舗の料理とその経営者との交流を描いた文章二編が最後に添えられている。山菜の名前が数多く現れたが、半分以上が私の知らない言葉だったのには驚いた。先人は季節それぞれの数多くの山の恵みを享受していたのだろう。
 この本の中から、心に残った言葉をちょっと拾ってみよう。

  • 家に持ち帰った山椒の実は、一つずつ手に取って、細い茎を取り除く。この作業が、実にちまちましている。……大好きな音楽を聴きながら、山椒の実のお世話をするのは、至福のひとときと言っても過言ではない。(皐月)
  • 大人になり、初めて、皮が薄くてふわふわの大粒の梅干しを食べた時は、目から鱗が落ちそうになった。……それはまるで宝石のような存在感で、立派な「ご馳走」だった。(水無月)
  • 味噌作りの過程で、塩と生麹を混ぜている時間が好きだ。だんだん気持ちが穏やかになって、瞑想しているような気分になる。味噌には、宇宙の銀河にも匹敵する、無数の命が宿っている。……一度、ものすごく悲しい気持ちで、味噌を仕込んだことがあった。数ヶ月経って様子を見ると、なんとその味噌からはカビが生えていた。……やっぱり味噌も生き物なのだということを痛感した。(神無月)
  • コゴミは……集団で芽を出すので、内側は残し、外側だけを採るようにすると、来年も太く立派な芽が顔をだす。欲張って全部を摘んでしまったら、翌年は貧弱な芽しか出てこない。(出羽屋さんへ、春、再び)

 読み易い文章で、あっという間に読み終えた。