隅田川に消えた版画家・藤牧義夫

隅田川に消えた版画家・藤牧義夫

啓(2024年2月28日)

 私には幾つかの贔屓の YouTube 番組がある。そのうちの一つはウィキペディアでは評論家・編集者・タレント・コラムニストと紹介されている山田五郎氏が泰西の絵画について幅広く自らの考え方を基にわかりやすく解説する約 30 分の「山田五郎オトナの教養講座」である。先日のこの番組では泰西名画ではなく「隅田川に消えた版画家・藤牧義夫」が取り上げられた。私はその時点までこの夭折の版画家については全く知らなかった。
 この2回に分割された合計約1時間の番組では藤牧義夫の生涯と彼の作品に纏わる様々な疑問が取り上げられ、山田五郎氏が興味深くいろいろと解説してくれた。
 この番組を視て、ちょっと藤牧義夫について勉強しようと番組で触れられていた「相生橋煙雨」(文藝春秋、野口冨士男)と「君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実」(講談社、駒村吉重)を図書館で借り出した。
 前者は昭和 57 年、後者は平成 23 年発行である。
 藤牧義夫は総延長 60 メートルにも及ぶ桁外れの大作「隅田川両岸絵巻」と光の表現に優れた「赤陽」等の版画を始め数多くの創作版画で知られる人物で「手元にある自作を(関係のあった)小野忠重に託し、極貧のうちに昭和 10 年に 24 歳で豪雨のなか隅田川で行方不明になった」とされている。
 野口氏の著書では「隅田川両岸絵巻」に描かれた場所を実際に歩き、詳細に現地と絵巻に描かれた風景とを比較したり、視点の移動について考察したりしているところを興味深く読んだ。藤牧義夫自身やその失踪に関しても述べられているが、これらは約 30 年後に発行された駒村氏の著述が詳しい。
 駒村氏の書物では、巷間言われている彼の一生やその作品群についてのいろんな疑問を、丹念に渉猟した多くの資料や生前に少しでも関係のあった人のヒアリングをもとに考察して、それぞれについて結論を出している。私にとってはあまりにも詳細な記述であり、読むのにはいささか難渋した。が、幾つかの疑問について駒村氏の出した結論は私には納得できるように思われる。
 例えば、駒村氏は藤牧義夫の行方不明になった少し前の写真や残された資料から「(藤牧義夫研究の第一人者であり木版画界の重鎮でもあった小野忠重により)今まで語られてきた藤牧の伝記は事実ではない」「行方不明の直前の藤牧はいろんな書物に書かれているような極貧の生活をしていたのではない。藤牧の人生は順調だったといっていい」「小野忠重が藤牧についていろんなところに書いている内容の間にはかなりの矛盾が見られたり、新たなエピソードが付け加えられたりしている」と書いている。
 さらに「行方不明から 20 日後や1ヶ月後に開催された展覧会には藤牧作品が展示されていた」「藤牧が消息不明になってから半年後に初めて消息不明が報じられた」等の事実も調査し、「暫くの間、行方不明が報じられず、その間に行方不明者の作品がこれらの展覧会に出ているのはいかにも不自然だ」とも書き、そこからある推理をする。
 また、「小野忠重が存命中に彼が全集などに掲載、あるいは展覧会に出品した藤牧作品(失踪直前に藤牧から託されたとされる作品だろう)の総数は八十五点となる。そのうち五十四点は、別人による後刷りか、構図の改竄がなされているか、原作にないはずの色がくわえられているか、あるいはまったくの他人作か、いずれにせよまがう方なき捏造作品だったのだ」という衝撃的な事実も述べる。
最後に著者の駒村吉重はエピローグで
 それでは、だ。
 貧困がきわまった藤牧が、精神をかきみだし隅田川に飛びこんだと暗示させるあの結末はまったくの小野の創作だったのだろうか。
 残念ながら、謎の核心部にあるそれについても、こたえをもっていない。
 だが、小野忠重はなにかを知っていたのではないかとまでは、想像することが許されまいか。
 なにかとは、昭和 10 年9月2日の雨の晩、藤牧の身に、なにごとか不測の事態がふりかかった、ということである。
 ひっかかる、小野の言葉があった。
 それは、昭和 31 年刊行の『現代版画の技法』初版のなかに、なんの脈絡もなくぱっとあらわれる。
「私は彼が死んだと信じている。けれども死んだ証拠はないのだ」
 こんな不可解なひとり語りを、この時期に彼が書けたわけが、わたしにはどうしても見つからないのである。

と書いている。この含意を私はなんとなくだが、分かったような気がしている。
 最後の3行は

 大谷(芳久)もわたしも、そして先に逝った洲之内徹(注:いずれも藤牧作品やその失踪について詳しく調査した人物である)も、藤牧がみずから命をたったというできあいの悲劇を、これっぽちも信じていない。
 おーい、藤牧義夫よ、きみはどこへ行ったんだい。

である。
 深読みかも知れないが、これらから駒村氏はそれとなくある結論を暗示しているのではないかと思った。私も彼の思っている結論は正しいものだと思いながら巻を措いた。