旅行と本

旅行と本

啓(2024年2月21日)

  2023 年8月 13 日付読売新聞朝刊には特集記事として2頁に亘る「旅行中に読みたい非日常を味わう本」の欄があった。
 この特集記事は「新型コロナウイルスの感染症法上の分類が『5類』に引き下げられて初の夏休み。海へ、山へ、ふるさとへ足を運ぶ人も、昨年などに比べると、増えるかも知れません。そんな時、旅行かばんに入れ、旅の『お供』にしたくなる一冊を挙げていただきました」との紹介の下、いろんな分野の学者、作家、編集委員など 21 人が18行の文章で、それぞれの一冊を選び、紹介していた。
 この記事を眺めた私の最初の反応は「書を捨てて旅に出よう」という言葉だった。どこで知ったのかは覚えていない。寺山修司は「書を捨てよ町に出よう」と言ったと言うがこれを間違って覚えたのかも知れない。「旅行で列車やバスに乗ったら窓外の風景を楽しみ、そこでの生活の諸々を感じるのが旅の醍醐味ではないか」「それぞれの土地の生活を心と体の全体で受け止めるのが旅ではないか」「ビールを飲みながら車窓の風景を眺め、いろいろと思いを巡らすのが楽しいのに」だった。
 私の場合は車中での読書は通勤時の電車の中、年に何回も往復した新幹線車中に限られていた。旅の車中での読書など考えられない。また旅行先で今まで知らなかった新しい書物を読む気にはならない。
 百歩譲って旅行中や旅先での読書を考えるなら、今まで何度も読み内容をよく知っている本について今までとは異なった非日常の生活の中でその内容を改めて考える、考え直すということはあるだろう。このような読書の意味は考え得るが、今まで知らなかった書物と対峙するのは旅先である必要はあるまい、というより刺激の多い旅先では無理である。
 このような悪口を思いながら紹介された 21 冊の紹介文を眺めた。小川 哲氏は「旅の醍醐味の一つは非日常を味わえることで、移動中や空いた時間に読む本が日常を感じさせてしまうと、せっかくの体験が台無しになってしまうかもしれない」、池澤春菜氏は「旅の間の読書というものは普段と時間の使い方が少し違う。……隙間や合間でも楽しめるように、短編集はどうだろう」、金子 拓氏は「非日常という外部空間にて読む本は、逆に自分自身の心の深いところに沈み込んでゆく内省を誘うような、外の世界から隔絶された孤独を感じるためのものがいいのかもしれない」、堀川惠子氏は「旅先には少し重い内容だが、旅先でこそ発想を変えて読んでみたい良書」との文言を付してそれぞれの一冊を紹介してくれる。
「鄙びた温泉宿に長期間逗留し、読書三昧と温泉を楽しむ」などと何かの小説の主人公のような旅ならば、自らの人生と持参した本にじっくり向かい合ったり、新しい考えに思いを巡らし思索に耽ったりすることはいいかもしれないが、時間を遣り繰りし、何日間かの非日常の時間を作り出す多くの現代人にあってはこういった旅や読書は夢物語である。
 番外編として掲載されていたよみうり堂店主の「目的地に着くまで本の世界にどっぷり浸りたい人もいるだろうが、せっかくの旅なら私は本だけでなく、車窓からの風景や駅弁も楽しみたいタイプ。本→風景→本→駅弁→ビール→本。そんな読み方だから(以下省略)」という文章が私には一番ぴったりする。
 もし私が旅に持って行くとしたら、「旅行鞄にもするりと入る小ぶりの造り」の今まで楽しんだ良質のエッセイ集、好きな詩人のお気に入りの詩集だろう。と書きつつ現実の旅行鞄の中には(私にとってはあまり役に立たない、お洒落な)旅行案内書だけが入っている。