イギリス観察辞典
前回で少し触れた「イギリス観察辞典」(林 望、平凡社)はとても面白い(私の手元にあるのは「大増補新編輯版」である)。
著者は凡例で「本書は、古今英国の諸事情をあまねく知らんと欲する人の為には、ほとんど何の役にも立たないことを目的として……偏狭なる視点をもって選び出したる八十九項目よりなる辞典である」と本書の内容を説明する。しかしその実態は優れたエッセイ集であり、八十九項目それぞれについて読むに値するイギリスをテーマとした文章が五十音順に(英語の副題を添えて)配列されている。
「図書館」(Library)というタイトルでは
著者は凡例で「本書は、古今英国の諸事情をあまねく知らんと欲する人の為には、ほとんど何の役にも立たないことを目的として……偏狭なる視点をもって選び出したる八十九項目よりなる辞典である」と本書の内容を説明する。しかしその実態は優れたエッセイ集であり、八十九項目それぞれについて読むに値するイギリスをテーマとした文章が五十音順に(英語の副題を添えて)配列されている。
「図書館」(Library)というタイトルでは
ケンブリッジ大学図書館に一人の名物男がいた。イギリス人としては随分小柄な三十を過ぎた男で、今時流行おくれな長髪をし、若草色の褪せたようなコーデュロイのジャケットを着、毎朝深刻そうな顔をして、どこからか図書館に通ってくる。そうして、いつも同じ席に坐って、なんだか古ぼけた難しい哲学の本を読んでいる。……ときどき他の人と話していることもあったけれど、ついぞ愉快そうな顔をしていた試しがない。……それから六年ほど経って、私は再び夏のケンブリッジを訪れた。懐かしい図書館に行ってみると、ああ、あの同じ席にやっぱり彼が坐っていて、同じように眉根に皺を寄せて本を読んでいる。……もしかしたらその着ている上着の方が、分厚い書物よりも、その男の『哲学』であるかも知れない。
で終わる2頁の文章が書かれていた。
英国の「図書館」(Library)について書くのなら、著者はたぶん大英博物館図書館での南方熊楠の全 52 冊の「ロンドン抜書」作成やカール・マルクスの毎日 12 時間に及ぶ読書などのエピソードを書いているのに違いない、と読み始めた私だったがその思いは空を切ったようだ。がよく考えてみると著者のなんということもないこの文章がそれなりにイギリスの図書館についての雰囲気と言うか在り様を教えてくれているような気にもなっている。
「紅茶」(Tea)の項では6頁に亘って「自らが正しいと信じる紅茶の入れ方」を楽しく論じている。
最初に日本の喫茶店やホテルで出される紅茶について「単純な原理を踏み外しているためおしなべてあのように信じ難くまずい」と書く。
次にその単純な原理とは「一、たっぷりの煮えくり返った熱湯 二、適切な量の茶葉 三、あつーくした大型のカップ 四、冷たいままの牛乳」であるとし、これらを使った具体的な理想の紅茶の入れ方を説明する。その伝授の仕方は諧謔も交えつつ誤解を生じさせない解り易い文章で書かれている。
彼我の水道水の差(日本の水は軟水であるのに比してイギリスの(ことにイングランドの)水は極めて石灰分に富む硬水である)に触れて、日本茶は日本の水では美味しくいれられるが、紅茶をいれるときには「出すぎる」と説明する。「出すぎた紅茶は、まず渋い、そして苦い。そこで、この渋みと苦みに覆われてしまって、紅茶本来の色も香りも死んでしまうことになりかねない。それでは、というので、茶の葉を少なくしたり、湯をぬるくしたり、または湯を差してから置く時間を短くすると、こんどはお湯くさくて一向に味が出ない、と言う具合になる」とかつて私が感じていたことを説明してくれる。
この後に著者が正しいと思う入れ方の指南が具体的に書かれている。
この項を読みながら、現在ではティーバッグを使って簡単に一日に3~4杯の紅茶を飲んでいる私であるが、かつては一点を除きこの指南どおりに紅茶を入れていた(この入れ方もある書物に書かれていた方法である)こともあるなあ、若かり頃、イギリス企業との総代理店契約締結交渉で初めてロンドンを訪れたとき交渉の席で、紅茶が出される際に「Black or White?」と聞かれ、一瞬戸惑ったこともあったなあ、と紅茶に纏わる昔話を思い出した。
巻末の丸谷才一による解説がまた読んで楽しい。本文と同じような形式を踏襲し、しゃれた解説文が書かれている。
英国の「図書館」(Library)について書くのなら、著者はたぶん大英博物館図書館での南方熊楠の全 52 冊の「ロンドン抜書」作成やカール・マルクスの毎日 12 時間に及ぶ読書などのエピソードを書いているのに違いない、と読み始めた私だったがその思いは空を切ったようだ。がよく考えてみると著者のなんということもないこの文章がそれなりにイギリスの図書館についての雰囲気と言うか在り様を教えてくれているような気にもなっている。
「紅茶」(Tea)の項では6頁に亘って「自らが正しいと信じる紅茶の入れ方」を楽しく論じている。
最初に日本の喫茶店やホテルで出される紅茶について「単純な原理を踏み外しているためおしなべてあのように信じ難くまずい」と書く。
次にその単純な原理とは「一、たっぷりの煮えくり返った熱湯 二、適切な量の茶葉 三、あつーくした大型のカップ 四、冷たいままの牛乳」であるとし、これらを使った具体的な理想の紅茶の入れ方を説明する。その伝授の仕方は諧謔も交えつつ誤解を生じさせない解り易い文章で書かれている。
彼我の水道水の差(日本の水は軟水であるのに比してイギリスの(ことにイングランドの)水は極めて石灰分に富む硬水である)に触れて、日本茶は日本の水では美味しくいれられるが、紅茶をいれるときには「出すぎる」と説明する。「出すぎた紅茶は、まず渋い、そして苦い。そこで、この渋みと苦みに覆われてしまって、紅茶本来の色も香りも死んでしまうことになりかねない。それでは、というので、茶の葉を少なくしたり、湯をぬるくしたり、または湯を差してから置く時間を短くすると、こんどはお湯くさくて一向に味が出ない、と言う具合になる」とかつて私が感じていたことを説明してくれる。
この後に著者が正しいと思う入れ方の指南が具体的に書かれている。
この項を読みながら、現在ではティーバッグを使って簡単に一日に3~4杯の紅茶を飲んでいる私であるが、かつては一点を除きこの指南どおりに紅茶を入れていた(この入れ方もある書物に書かれていた方法である)こともあるなあ、若かり頃、イギリス企業との総代理店契約締結交渉で初めてロンドンを訪れたとき交渉の席で、紅茶が出される際に「Black or White?」と聞かれ、一瞬戸惑ったこともあったなあ、と紅茶に纏わる昔話を思い出した。
巻末の丸谷才一による解説がまた読んで楽しい。本文と同じような形式を踏襲し、しゃれた解説文が書かれている。