郷土本と郷土カルタ
手元に著者の謹呈サインがある「千里の歴史と伝統」(北田順三、(財)大阪府千里センター)という本とそこに挟まれた小冊子「郷土カルタ解説書」(吹田市郷土民話かるた普及会)がある。近くの古本屋で十数年前に買ったことを覚えている。本を貰った人が古本屋に売ったのだろう。過去にも著者の署名のある謹呈本を古本屋で買ったことがあるので、このこと自体にはそれほどの驚きは感じなかったが、贈ってくれた著者に対しては失礼な態度だろう。
新しく開発された住宅地ならどうかは知らないが、古くから人が住んでいた土地にあっては、いろんな言い伝え、民話、伝承さらには歴史的遺産があることは想像に難くない。何がきっかけかは分からないが、これらについて調査し、取り纏めようとの動きが発生することは容易に想像できる。
手元にあるこの本とそこに挟まれていた小冊子はまさにそのような動きの結果なのだろう。
ここに書かれている諸々は私にとってはいずれも興味深いものだが、他地域に住んでいる人には関心も持たれず面白くもないだろう。
と言うことで多くの人に関係のありそうな飲食に関することを少し紹介する。
タケノコと言えば京都西山近郊が有名だが、かつては我が市の北部では「銀だけ」として珍重されたタケノコが生産された時代もあったという。このことは知らなかったが、それが生産されていたとされる場所の近くを何年か前に通ったときに見た竹藪は手入れがなされず荒廃していた。
祝儀野菜として有名なクワイでは、小ぶりながら味がよく、歯ごたえがあり江戸時代には宮中へ献上されていたスイタクワイが載っている。このクワイは僅か4個の絶滅寸前の状態から保存・増殖の活動が篤農家により始められ、現在では小学校の校庭や公園に水田を作ったり、希望者には球根や苗を分けるなど、いろんな方法により増殖努力がされている。私はこの活動のことは知っていた。
因みに吹田市のいわゆる「ゆるキャラ」はクワイをイメージした「すいたん」と名付けられた男の子である。
その他では、三島ウドや高槻の寒天が載っている。
北摂にも名酒がある。池田の酒はあまりにも有名だが、富田には「けさたんと のめやあやめの とんたさけ」という回文で有名な酒がある。この句は芭蕉の高弟・其角の作だと中高時代の友人であるその酒造会社の社長が教えてくれた。
小冊子に掲載されていたカルタの文章はそれぞれに興味深いものだったが、「ち」では「父は長柄の人柱」という文が選ばれていた。
これは土地の長者巌氏(いわうじ)が自らが提案した方法により長柄橋の人柱になった話(長柄橋架橋の難工事を進めるため、袴に継ぎがあたっている人を人柱を立てることを言い出した長者自身の袴に継ぎがあり、自らが人柱になったという故事)とその娘・光照前(てるひのまえ)の「物いわじ父は長柄の人柱 鳴ずば雉子も射られざらまし」が関係している。
「口は災いの元」という解釈もあろうが、私は長者自らが人柱になることを心に決め、人柱の候補者を選ぶ方法を提案したのだと思っている。
新しく開発された住宅地ならどうかは知らないが、古くから人が住んでいた土地にあっては、いろんな言い伝え、民話、伝承さらには歴史的遺産があることは想像に難くない。何がきっかけかは分からないが、これらについて調査し、取り纏めようとの動きが発生することは容易に想像できる。
手元にあるこの本とそこに挟まれていた小冊子はまさにそのような動きの結果なのだろう。
ここに書かれている諸々は私にとってはいずれも興味深いものだが、他地域に住んでいる人には関心も持たれず面白くもないだろう。
と言うことで多くの人に関係のありそうな飲食に関することを少し紹介する。
タケノコと言えば京都西山近郊が有名だが、かつては我が市の北部では「銀だけ」として珍重されたタケノコが生産された時代もあったという。このことは知らなかったが、それが生産されていたとされる場所の近くを何年か前に通ったときに見た竹藪は手入れがなされず荒廃していた。
祝儀野菜として有名なクワイでは、小ぶりながら味がよく、歯ごたえがあり江戸時代には宮中へ献上されていたスイタクワイが載っている。このクワイは僅か4個の絶滅寸前の状態から保存・増殖の活動が篤農家により始められ、現在では小学校の校庭や公園に水田を作ったり、希望者には球根や苗を分けるなど、いろんな方法により増殖努力がされている。私はこの活動のことは知っていた。
因みに吹田市のいわゆる「ゆるキャラ」はクワイをイメージした「すいたん」と名付けられた男の子である。
その他では、三島ウドや高槻の寒天が載っている。
北摂にも名酒がある。池田の酒はあまりにも有名だが、富田には「けさたんと のめやあやめの とんたさけ」という回文で有名な酒がある。この句は芭蕉の高弟・其角の作だと中高時代の友人であるその酒造会社の社長が教えてくれた。
小冊子に掲載されていたカルタの文章はそれぞれに興味深いものだったが、「ち」では「父は長柄の人柱」という文が選ばれていた。
これは土地の長者巌氏(いわうじ)が自らが提案した方法により長柄橋の人柱になった話(長柄橋架橋の難工事を進めるため、袴に継ぎがあたっている人を人柱を立てることを言い出した長者自身の袴に継ぎがあり、自らが人柱になったという故事)とその娘・光照前(てるひのまえ)の「物いわじ父は長柄の人柱 鳴ずば雉子も射られざらまし」が関係している。
「口は災いの元」という解釈もあろうが、私は長者自らが人柱になることを心に決め、人柱の候補者を選ぶ方法を提案したのだと思っている。