順化、義援金、順法、そして世論
2024年4月9 日に日本気象協会が発表した「4月から真夏日の可能性 熱中症のリスクに注意を」とのプレスリリース中には「暑熱順化」と言う言葉が使われていた。これが契機になったのだろうと推測しているが、その後暫くの間は「暑熱順化」と言う言葉がテレビ番組を席巻(?)していた。
この言葉を聞きながらどうして「暑熱馴化」と書かないのか、学問的に「暑熱順化」と「暑熱馴化」とは違う概念で、現在問題にしているのは「暑熱順化」の方なのだろうかなどと素人考えをしていた。 AI 先生は、「暑熱馴化」と「暑熱順化」とは違う概念であるとそれぞれの内容を簡単に説明をしつつも「暑熱馴化」は「暑熱順化」と表記されることもある、と教えてくれる。何が何だかよく分からない。
ところが最近あるジャーナリストの note で新潮選書の佐藤卓己著「輿論(よろん)と世論(せろん)」という本を知った。副題は「日本的民意の系譜学」である。ここでははっきりと「現在では輿論と世論は一般に同じものを指しているが、そもそも歴史的には別物である」とし「ヨロンの世論化」が生じた理由を詳しく書いている。また付されている表形式の「漢語辞書・国語辞書にみる『輿論』『せろん』」も興味深い。
この言葉を聞きながらどうして「暑熱馴化」と書かないのか、学問的に「暑熱順化」と「暑熱馴化」とは違う概念で、現在問題にしているのは「暑熱順化」の方なのだろうかなどと素人考えをしていた。 AI 先生は、「暑熱馴化」と「暑熱順化」とは違う概念であるとそれぞれの内容を簡単に説明をしつつも「暑熱馴化」は「暑熱順化」と表記されることもある、と教えてくれる。何が何だかよく分からない。
このような私にとってはどうでもいいようなことを考えていたら、突然「義援金(義捐金)、順法(遵法)、世論(輿論)」問題を思い出した。「どうして義捐金、遵法、輿論」と書かないのか」ということである。理由は「捐」「遵」「輿」が当用漢字(現在では常用漢字)に含まれていないからだろうと推測できるが、本来の漢字を使用した方が意味がはっきりとするのではないか、といつも思っている。
これらについて、私自身は義捐金は義援金と書くことが多いが、遵法は絶対に順法とは書かない。輿論は世論と輿論は意味が違う筈だと思いながらも(世論に負けて)ほとんどの場合世論と書いている。これらについての私の愚痴に対して畏友は「遵法はおっしゃるとおりですが、順法という字を見ても気にしていません。義捐金(の『捐』という漢字)は『損』という字に似ているので、私には違和感がある漢字です。寄付を損な行為のように感じさせて」と穏やかな返事をくれた。
輿論と世論は意味が違うということについては 30 歳代に読んだ何かの書物にあったと覚えているが、現在ではどのようなところでそれを知ったかということは霞の彼方である。
ところが最近あるジャーナリストの note で新潮選書の佐藤卓己著「輿論(よろん)と世論(せろん)」という本を知った。副題は「日本的民意の系譜学」である。ここでははっきりと「現在では輿論と世論は一般に同じものを指しているが、そもそも歴史的には別物である」とし「ヨロンの世論化」が生じた理由を詳しく書いている。また付されている表形式の「漢語辞書・国語辞書にみる『輿論』『せろん』」も興味深い。
ここでこの輿論・世論問題に深入りすると、マスメディアの世論調査にも触れざるを得なくなり、この欄のコラムには相応しくない。詳しくは上記の書物をお読みいただくとして、ここではこの二つの用語「輿論」と「世論」について上っ面だけを撫でることとする。
曰く「そもそも輿論は公的な意見(public opinion)の訳語、換言すれば人々の議論や議論に基づいた意見が「輿論」、世論は世間的(あるいは世俗的)な感情(popular sentiments)、言い換えれば世間一般の人々や国民の感情から出た意見が「世論」である。当用漢字(その後常用漢字)のルールが定められた際に「輿」の字が使えなくなり、代わりに一般的に「世」の字を使うことになり、その結果、本来は輿論と書くべきところを世論と書き、本来の世論との混同、誤解が生じた」
最近では、輿論と世論は同じような意味に使われることが多いが、上記のとおり本来の意味は異なる。私が日頃目にする文章の中では、正しくは輿論と書くべきだろうと思われるところを世論と書いていたり、世論という一つの言葉でケースにより輿論の意味を持たせたり、文字どおり世論の意味としたりしている。手元にある二冊の国語辞典では「輿論」と「世論」はどちらも同じ意味を表記違いの言葉としている。これでは議論が深まることはない。