ネパール五つ目の文庫
『年に5ヶ月出るビザを使って、ネパールに滞在したい。年を越えたら10ヶ月のビザになる。それが、私のネパール滞在の夢』
が、年老いた母との暮らしでは、その願いも叶わない。1年に1ヶ月だけのネパール行きだ。来年のはじめ1月の終わりからネパールへ行く計画。今、五つ目の絵本文庫づくりが始まっていて、その準備の仕事が待っている。五つ目の絵本文庫は、サチコール村の隣のチェトリカラック村に作る(隣と言っても何百キロも離れているが)。日本の多くの支援で絵本文庫は、生まれている。が、支援といっても「はい、どうぞ。作ってあげました」というものではなく、あくまで、村人達の希望に添う形で長い長い時間をかけて話し合い、「我らの村の絵本文庫」の意識が出ることを待つ。
私は、ネパールに行くと紙芝居興行おばさんとなる。興行カバンと称したカバンには「日本から持って行った紙芝居」「爪切り」「自分用の救急用品」が入っている。
村を歩き、人がいると思ったら、紙芝居興行のはじまり。ドッコと称した作業用竹籠をひっくり返して台にする。あらかじめ、訳してもらったネパール語で私は読み出す。
大人も子どもたちも寄ってくるが、前に座るのは必ず大人達だ。子どもたちは、後ろに座って、じっと待っている。
大人達に読み終わると、やっと子どもたちの番がくる。聞き終わった大人達は、私の背の後ろにたって、紙芝居を指さしながら夢中でおしゃべりだ。
子どもたちの目の輝きは、どの村でも同じ。食い入るように紙芝居を見つめ、私のいい加減なネパール語の発音に時々笑って聞いている。
紙芝居を始めた頃、私の姿を見ると駆け寄ってきて、私のカバンの中をのぞき込む子どもたちもいた。大人だって、仕事を休憩して駆け寄ってくる。一日中、あちこちの村を紙芝居興行で歩くこともあるが、ずっとついてきた子どももいる。
仲良くなっていくと、私のネパール語を直してくれるようになった。私の「ネパール語教室」が始まり、私のここでの語学力は子どもによって伸びた。
絵本文庫が各地にできてから、学校に通う子どもたちが増えてきたという。学校の教師達の話だ。家の労働力である子どもたちは、学校より家が大事とされて学校に行かせてもらえないこともあった。が、大人も子どもたちの喜ぶ姿や学ぶ姿にうたれたのだろうか。
絵本を持参するときには、いたずらに日本の文化を押しつけたくないという気持ちで選書する。限られた本の予算や寄付される本からの選書は、なかなか難しい。生きること・命のこと・自然のこと、そういうことを頭の中に入れている。
何十回、何百回と読まれて、ボロボロになった紙芝居や絵本に、愛おしさを感じる。
が、年老いた母との暮らしでは、その願いも叶わない。1年に1ヶ月だけのネパール行きだ。来年のはじめ1月の終わりからネパールへ行く計画。今、五つ目の絵本文庫づくりが始まっていて、その準備の仕事が待っている。五つ目の絵本文庫は、サチコール村の隣のチェトリカラック村に作る(隣と言っても何百キロも離れているが)。日本の多くの支援で絵本文庫は、生まれている。が、支援といっても「はい、どうぞ。作ってあげました」というものではなく、あくまで、村人達の希望に添う形で長い長い時間をかけて話し合い、「我らの村の絵本文庫」の意識が出ることを待つ。
私は、ネパールに行くと紙芝居興行おばさんとなる。興行カバンと称したカバンには「日本から持って行った紙芝居」「爪切り」「自分用の救急用品」が入っている。
村を歩き、人がいると思ったら、紙芝居興行のはじまり。ドッコと称した作業用竹籠をひっくり返して台にする。あらかじめ、訳してもらったネパール語で私は読み出す。
大人も子どもたちも寄ってくるが、前に座るのは必ず大人達だ。子どもたちは、後ろに座って、じっと待っている。
大人達に読み終わると、やっと子どもたちの番がくる。聞き終わった大人達は、私の背の後ろにたって、紙芝居を指さしながら夢中でおしゃべりだ。
子どもたちの目の輝きは、どの村でも同じ。食い入るように紙芝居を見つめ、私のいい加減なネパール語の発音に時々笑って聞いている。
紙芝居を始めた頃、私の姿を見ると駆け寄ってきて、私のカバンの中をのぞき込む子どもたちもいた。大人だって、仕事を休憩して駆け寄ってくる。一日中、あちこちの村を紙芝居興行で歩くこともあるが、ずっとついてきた子どももいる。
仲良くなっていくと、私のネパール語を直してくれるようになった。私の「ネパール語教室」が始まり、私のここでの語学力は子どもによって伸びた。
絵本文庫が各地にできてから、学校に通う子どもたちが増えてきたという。学校の教師達の話だ。家の労働力である子どもたちは、学校より家が大事とされて学校に行かせてもらえないこともあった。が、大人も子どもたちの喜ぶ姿や学ぶ姿にうたれたのだろうか。
絵本を持参するときには、いたずらに日本の文化を押しつけたくないという気持ちで選書する。限られた本の予算や寄付される本からの選書は、なかなか難しい。生きること・命のこと・自然のこと、そういうことを頭の中に入れている。
何十回、何百回と読まれて、ボロボロになった紙芝居や絵本に、愛おしさを感じる。