マクソーリーの酒場と私の酒場
畏友がブログでジョゼフ・ミッチェルの「マクソーリーの素敵な酒場」(柏書房)を「ニューヨークに生きる、偏屈で、したたかで、そしてどこか温もりのある、はっきりいってそれぞれタイプの違う奇人のような人たちに、つい引き込まれてしまう見事な描き方」と1,000字強の文章で紹介していた。この文章に惹かれて、この素敵な酒場を図書館から借り出し、そこに含まれている10の短編を楽しんだ。
畏友と同じように私も同書の冒頭に収められた「故郷のなつかしき家」が一番気に入った。この編は酒場“マクソーリーズ”の4代の経営者と彼らが愛した店やその顧客について達者な筆致でこれらに纏わる諸々を紹介している。
読みながら私は東京勤務の約20年間(その内の15年は単身赴任だった)に楽しんだ一つのバーを思い出していた。勿論、ミッチェルがこの文章を書いた1940年という時代、さらに一部の文章に至っては遡ること禁酒法の時代という時代による差もあり、さらに生活様式や人種構成が異なるニューヨークの下町と東京の中心地という地域差もあり、比較すること自体意味がなく、単に私の好きなバーを思い出していたに過ぎないのだが。
私はお酒は強くはないが、弱くもなかった。友人とはビアホールや居酒屋もよく訪れたが、私のお気に入りはホテルのバーだった。
若かりし頃に知った池波正太郎さんの名言「お酒はきちんとしたホテルのバーで飲むべし。値段は決して高くはない」を実践したつもりだった。そこではマナーも覚えたが、何よりもいろんな意味で雰囲気がよく、池波さんの言のように値段はリーズナブルだった。
当時の私が一番好きだったのは、旧赤坂プリンスホテルの別館・旧李王家邸の1階にあったバー・ナポレオンだった。ハープの生演奏がなされていた、ゆったりと席が配置された落ち着いた雰囲気のバーだった。ここでは資格審査のためだったのだろうか、暫くの間はボトルキープを許されなかったのだが、それが許されてからはさらにリーズナブルに感じた。
マクソーリーの素敵な酒場である“マクソーリーズ”と私の“バー・ナポレオン”との共通点を強いて挙げれば、「照明がそれほど明るくなく、心の平安を得やすく、くつろげる」ということになりそうだ。
もう一つ、私が羨ましく思っているロンドンのパブも思い出した。出張の都度、駐在員と訪れ生ぬるいエールを楽しんだが、そこでは私たちと同じように仕事を終えたサラリーマンが同僚と連れ立ってカウンターで、あるいは路上に置かれた背の高いテーブルの前で一日の疲れを癒しつつ様々な情報交換をしていた。居酒屋でその日の仕事についての話や同僚の噂話をしている日本のサラリーマンと同じだなあ、と思った記憶がある。そして“マクソーリーズ”では・・・。
それぞれの人物がそれぞれの方法で人生を真面目に生き、お酒を楽しんでいることを思いつつ私もそうだったことを思い出した一編であった。
(最後に一つ補足を。畏友という言葉は、漢和辞典や国語辞典によると「学問や人柄から敬服すべき友、尊敬している友人」とある。先日「尊敬語であるには違いないものの、これ(畏友)を目上の人や同年輩に向かって使ってはならない」という文章を見付けた。根拠は論語にある「後世畏るべし」が理由だという。とは言うものの「墨守」という言葉も、その昔は「説を持して曲げないこと」と言うよい意味の言葉だったということは忘れ去られ「旧弊にとらわれる、融通がきかない」とされている。このような例もあることでもあり、畏友も手元の漢和辞典、国語辞典に書かれている意味合いで使った。)
畏友と同じように私も同書の冒頭に収められた「故郷のなつかしき家」が一番気に入った。この編は酒場“マクソーリーズ”の4代の経営者と彼らが愛した店やその顧客について達者な筆致でこれらに纏わる諸々を紹介している。
読みながら私は東京勤務の約20年間(その内の15年は単身赴任だった)に楽しんだ一つのバーを思い出していた。勿論、ミッチェルがこの文章を書いた1940年という時代、さらに一部の文章に至っては遡ること禁酒法の時代という時代による差もあり、さらに生活様式や人種構成が異なるニューヨークの下町と東京の中心地という地域差もあり、比較すること自体意味がなく、単に私の好きなバーを思い出していたに過ぎないのだが。
私はお酒は強くはないが、弱くもなかった。友人とはビアホールや居酒屋もよく訪れたが、私のお気に入りはホテルのバーだった。
若かりし頃に知った池波正太郎さんの名言「お酒はきちんとしたホテルのバーで飲むべし。値段は決して高くはない」を実践したつもりだった。そこではマナーも覚えたが、何よりもいろんな意味で雰囲気がよく、池波さんの言のように値段はリーズナブルだった。
当時の私が一番好きだったのは、旧赤坂プリンスホテルの別館・旧李王家邸の1階にあったバー・ナポレオンだった。ハープの生演奏がなされていた、ゆったりと席が配置された落ち着いた雰囲気のバーだった。ここでは資格審査のためだったのだろうか、暫くの間はボトルキープを許されなかったのだが、それが許されてからはさらにリーズナブルに感じた。
マクソーリーの素敵な酒場である“マクソーリーズ”と私の“バー・ナポレオン”との共通点を強いて挙げれば、「照明がそれほど明るくなく、心の平安を得やすく、くつろげる」ということになりそうだ。
もう一つ、私が羨ましく思っているロンドンのパブも思い出した。出張の都度、駐在員と訪れ生ぬるいエールを楽しんだが、そこでは私たちと同じように仕事を終えたサラリーマンが同僚と連れ立ってカウンターで、あるいは路上に置かれた背の高いテーブルの前で一日の疲れを癒しつつ様々な情報交換をしていた。居酒屋でその日の仕事についての話や同僚の噂話をしている日本のサラリーマンと同じだなあ、と思った記憶がある。そして“マクソーリーズ”では・・・。
それぞれの人物がそれぞれの方法で人生を真面目に生き、お酒を楽しんでいることを思いつつ私もそうだったことを思い出した一編であった。
(最後に一つ補足を。畏友という言葉は、漢和辞典や国語辞典によると「学問や人柄から敬服すべき友、尊敬している友人」とある。先日「尊敬語であるには違いないものの、これ(畏友)を目上の人や同年輩に向かって使ってはならない」という文章を見付けた。根拠は論語にある「後世畏るべし」が理由だという。とは言うものの「墨守」という言葉も、その昔は「説を持して曲げないこと」と言うよい意味の言葉だったということは忘れ去られ「旧弊にとらわれる、融通がきかない」とされている。このような例もあることでもあり、畏友も手元の漢和辞典、国語辞典に書かれている意味合いで使った。)