本を選ぶ

本を選ぶ

KEI(2022年4月6日)

 2021年11月24日付の読売新聞夕刊は「書店が選ぶ特別な一冊」という見出しで「目利きの書店員に自分にぴったりの本を探してもらう『選書』サービスが人気を集めている」ことについて社会面記事頁の二分の一以上の紙面を使って報道していた。
 この記事を眺めた翌日のこと。図書館から定期的に送られてくるメール・マガジンでは「市民が選ぶ子どもと読みたい100+5冊の本」の改訂版が作成されたことが報じられていた。直ぐに入手した冊子は50頁ほどで就学前から中学生まで5段階に分けて、105冊の本が紹介されていた。
 この二つのニュースから私の選書方法はどうだったかについて思い出してみた。結果は、選書などと大げさな言葉で言うほどのことはなにもない、多くの人がとっておられる方法と違わないはずだ、ということに落ち着いた。新幹線に乗る直前に東京駅にある大きな書店で車中で読む本を適当に買ったことも何度もあった。
 強いて選書と言うならば、私がいろんな意味で好きな作家・評論家の本と彼らが自らの著書の中で具体的な理由を挙げて推奨している本、さらには小さいけれど店主の意思がはっきりと示されている書店の本棚に並んでいる本、から選ぶこともあった。そしてこれらの本が結果的に処分対象から除かれ保存対象となっていることが多い、ということぐらいである。
 自らが読む本を選ぶことに関してはいろんな方法があっていいとは思うが、前者の新聞記事はちょっと驚きであった。その人について知ることなく、その人のためにどのようにして本を選ぶのかが気になった。ある書店は「依頼者に20問の『カルテ』を記入してもらって本を選ぶ」という。ある書店では「悩みや好みに応じて1万円分の本を選んで送る」そうだ。
 記事は「中には深刻な苦悩を吐露し『生きていく力になる本を』と求める人もいた」とも報じていた。
 最近ではインターネットで書籍を買うと、人工知能やビッグデータを使い、勝手に私の好みを推測し、関連する書物を紹介するお節介な情報が送られてくる。
 いろいろな情報を参考にしながら、「自らが読む本は自らが選ぶ」のが読書の楽しみの一つだ、と考える私は世の中の流れから遅れているのだろうか。
 後者の小冊子については、対象とされる年齢の子供たちやその親には役に立つだろう、今後も定期的に改訂することが必要だろう(12年前に発行されたが、改訂は今回が最初だそうだ)、選者の選定基準がどのようなものかは知らないが、改訂に併せて全部または一部を変更することを考える必要もあるだろう、選ばれた本は各図書館で十分な数を保有するよう配慮する必要があるだろう程度のことしか思い浮かばない。
 小冊子の中に、ここからは表現が難しいのだが、子供に媚びるいやらしさあるいは作者のドグマという観点から疑問が呈されていたこともある書物が選ばれていたが、このことについては選定会議で検討済みなのだろう。
 児童文学には極めて疎い私だが、そしてどこに書かれていたのかを全く記憶していないのだが、著名な外国の作家の「児童文学というものを私は認めません。子どもには大人にも向くものだけを与えるべきです」との言葉は覚えている。事実、私が読んで面白かった文庫本を中学生の孫が読んだことは何度もある。
 多くの人が述べているように、かつては子どもは親の本棚から面白そうな本を勝手に選んで読んでいたのではなかったか。
 今後の小冊子の改訂の際には子供向けの本の中からだけ選ぶのでななく、このような観点からも検討されては、とは素人の外野席からの愚見である。