「九十歳。何がめでたい」
図書館へ本を返しに行ったついでに、書棚をチラッと眺めた。特に何を借りようという当てもなく、並べられているエッセイ集の表題を目で追っていた。
そのとき佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」(小学館)が目に付いた。佐藤さんは100歳近いお年の小説家だということは知っている。そして「あゝ玉杯に花うけて」の著者の佐藤紅緑さんがお父さんであることも。しかし、私は現在まで佐藤さんの書かれた文章を読んだことはない。
ただ、このエッセイの表題は、新聞の広告欄か書評欄で見た記憶がある。手に取ってみると大きな活字でゆったりと印刷され、1時間もかければ読み終えることができそうだと感じた。
女性週刊誌に連載されたものを纏めたものであるが、日常茶飯のあれこれや思い出話が達者な文章で書かれている。私の計算が正しければ、これらは92歳前後の時の文章である。
新聞の人生相談欄に関する文章も複数あった。自らの考え方や意見を、質問者、回答者の何れにも嫌な思いをさせないような配慮をしつつ、お書きになっているのは、「さすが」と思ったことである。
これらの文章を読みながら、はてさて佐藤さんはどのようにして文章をお書きになっているのだろうか、一字一字原稿用紙のマス目を埋めていらっしゃるのか、私と同じようにパソコンをお使いになっておられるのだろうか、が気になった。
文章中に「読者」ではなく「讀者」「理不尽」ではなく「理不盡」(この言葉は私のパソコンでは一発では出てこなかった)があることを考えると手書きのように思われるが、「インターネットを使い調べると」とあるのを見ると疑問もわく。しかし、同居の娘さんが調べられたのだろうと解釈すれば、やはり前者と見るべきだろう。
最後に、「今まで何十年も頑張ってきて…愈々(いよいよ)『のんびり』の生活に入ってみると、これがどうも、なんだか気が抜けて楽しくないのです」と書き、このような生活を続けているうちに「だんだん、気が滅入ってきて…ウツウツ」するという状態になられた。
このような時に週刊誌へのエッセイの連載を依頼され、隔週ならばという条件で連載を始めたが、「何週間か過ぎたある日、気がついたら、錆びついた私の脳細胞は(若い頃のようにいかないにしても)いくらか動き始め、私は老人性ウツ病から抜け出ていたのでした」と書いていらっしゃる。
予想どおり1時間足らずで読み終えたが、私がタイトルを付けるとすれば「九十歳。それがどうした」とするだろう。
余談だが、この本を読みつつ、100歳の折に「百歳は折り返し点」(未読)を上梓された文筆家の物集高量(もずめたかかず)さんを思い出した。朝日新聞にかなり大きなスペースで同氏の紹介記事が掲載されていたことを記憶している。
そのとき佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」(小学館)が目に付いた。佐藤さんは100歳近いお年の小説家だということは知っている。そして「あゝ玉杯に花うけて」の著者の佐藤紅緑さんがお父さんであることも。しかし、私は現在まで佐藤さんの書かれた文章を読んだことはない。
ただ、このエッセイの表題は、新聞の広告欄か書評欄で見た記憶がある。手に取ってみると大きな活字でゆったりと印刷され、1時間もかければ読み終えることができそうだと感じた。
女性週刊誌に連載されたものを纏めたものであるが、日常茶飯のあれこれや思い出話が達者な文章で書かれている。私の計算が正しければ、これらは92歳前後の時の文章である。
新聞の人生相談欄に関する文章も複数あった。自らの考え方や意見を、質問者、回答者の何れにも嫌な思いをさせないような配慮をしつつ、お書きになっているのは、「さすが」と思ったことである。
これらの文章を読みながら、はてさて佐藤さんはどのようにして文章をお書きになっているのだろうか、一字一字原稿用紙のマス目を埋めていらっしゃるのか、私と同じようにパソコンをお使いになっておられるのだろうか、が気になった。
文章中に「読者」ではなく「讀者」「理不尽」ではなく「理不盡」(この言葉は私のパソコンでは一発では出てこなかった)があることを考えると手書きのように思われるが、「インターネットを使い調べると」とあるのを見ると疑問もわく。しかし、同居の娘さんが調べられたのだろうと解釈すれば、やはり前者と見るべきだろう。
最後に、「今まで何十年も頑張ってきて…愈々(いよいよ)『のんびり』の生活に入ってみると、これがどうも、なんだか気が抜けて楽しくないのです」と書き、このような生活を続けているうちに「だんだん、気が滅入ってきて…ウツウツ」するという状態になられた。
このような時に週刊誌へのエッセイの連載を依頼され、隔週ならばという条件で連載を始めたが、「何週間か過ぎたある日、気がついたら、錆びついた私の脳細胞は(若い頃のようにいかないにしても)いくらか動き始め、私は老人性ウツ病から抜け出ていたのでした」と書いていらっしゃる。
予想どおり1時間足らずで読み終えたが、私がタイトルを付けるとすれば「九十歳。それがどうした」とするだろう。
余談だが、この本を読みつつ、100歳の折に「百歳は折り返し点」(未読)を上梓された文筆家の物集高量(もずめたかかず)さんを思い出した。朝日新聞にかなり大きなスペースで同氏の紹介記事が掲載されていたことを記憶している。