「古文研究法」

「古文研究法」

KEI(2021年9月8日)

 中古の人々の衣装について、束帯(そくたい)は第一礼装で大礼服のようなもの、狩衣(かりぎぬ)はモーニング程度の礼服、直垂(ひたたれ)は背広にあたる、もともとは身分の軽い庶民の着物であった素襖(すおう)は武士の通常服になった、といった知識とそれぞれの内容や着る順序など細かいことを知ったのは、学習参考書の「古文研究法」(洛陽社)の説明文からだった。
 この「古文研究法」の著者は十数年前に91歳でお亡くなりになった筑波大学名誉教授・文学博士の小西甚一氏である。氏は1951年に36歳という若さで日本学士院賞を受賞されている。勲二等瑞宝章も受賞され、文化功労者にも名を連ねておられる。
 その大学者が1955年、40歳のときに出された学習参考書が、この「古文研究法」である。私はこの本によって小西甚一という碩学の名を知った。
 その「はしがき」には、「これからの日本を背負ってゆく若人たちが、貴重な青春を割いて読む本は、たいへん重要なのである。学者が学習書を著わすことは、学位論文を書くのと同等の重みで考えられなくてはいけない」と意気込みを述べ、当時の「えらい先生の名になっているが、中味は大学院あたりの学生が他の参考書を抜き書きし寄せ集めた」参考書を批判している。
 もともと古文が大好きだったこともあり、参考書としてこの本を使ったのだろう。そしてこの本が大好きになったのだろう。「学者が学習書を著わすことは、学位論文を書くのと同等の重み」との語句は今でも覚えている。
 これらのことの結果、受験後も処分することなく手元に残し、さらに40頁分が増えた改訂版も買って結果的に書棚には2冊が並んでいる。
 このようにこの本に愛着を感じているのは私だけではない。私が買った改訂版には茶色に変色した1998年11月29日付の朝日新聞の切り抜きが挟まれている。
 そこでは「書棚から」の欄に、同社編集委員の河谷史夫氏が5段の文章を載せている。「どうせろくでもなかった(受験の)記憶を一掃すべく、昔のものはすべて処分したが『古文研究法』(洛陽社)だけは後に古本屋で買い戻し今もわが書棚にある。大学の先生が片手間に書いたような類書を圧していて、著者はただ者ではないと感じたものだ」と。
 この本の「はじめに」として書かれているたった6頁の文章は国語を勉強するに際しての根本、基礎を教えてくれる。
 曰く「国語はたいへん筋道の立った勉強が必要なのであって、つかみどころの無いような勉強のしかたでは話にならない。…頭をしぼらなければ、ぜったい力はつかないのである。…勉強に筋道を立てないから、ぼんやりした印象しか残らないのである」
 そして具体的に「語学的理解、精神的理解、歴史的理解」に分けて説明する。
 その説明は痒い所に手が届くように親切である。例えば「語学的理解」では「はかなし」という言葉については次のように説明している。
「はかがゆく」「はかどる」「はかばかしい」などの「はか」を「なし」で否定した形。
どしどし行ける感じの反対が基本意味だから、いろんな訳があるけれど、要するに消極的な感じである。がっちりした、巨大な、確実な感じと反対だと思えばよい。訳語は、前後の関係に注意して択ばなくてはいけない。
 この説明に加え「はかなし」の意味について(1)長もちしない・頼りない・確かでない(2)つまらない・ちょっとしたことだ・問題にならない、と訳語を示し、例文をあげて丁寧に説明する。
「精神的理解」について言えば、例えば「社会」という項目では「政治のしくみ」「教育と学芸」「経済および貨幣」と分けて、極めて具体的に説明する。
 この文の最初に書いた衣装についての説明を含めて、これらは別の言葉に言い換えれば「古典を読むのに必要な常識」ということになろうか。いろんな方向からこれら常識を教えてくれる。
 何十年か振りに適当なところから読み始めたが、時間を忘れて、面白くかつ楽しく読み進んだ。