「青春」という名の詩

「青春」という名の詩

KEI(2021年6月23日)

 私が現役の頃だったが、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたをいう」や「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」という語句が含まれているサムエル・ウルマンの詩「青春」は、多くの企業人に感銘を与え、いろんな挨拶の場で語られ、新聞紙上、社内報上で報じられていた。週刊誌も特集を組んだ。

 最近2~3ヶ月の間に何回か、新聞記事あるいはテレビ報道でサムエル・ウルマンの名と彼の有名な詩である「青春」という言葉を目にし、耳にした。老齢化社会との関係だったかどうかは記憶していない。
 このことが、当時東洋紡会長だった宇野 収氏と千代田化工建設に勤めていた作山宗久氏の共著になる「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ウルマン」(産業能率大学出版部)を思い出させた。
 書庫から取り出して再読したが、150頁たらずのハードカバーであったことと、共著者の一人である作山氏のあくなき事実探求の行動に興味をそそられ、2時間足らずで読み終えた。再読しつつ、事実解明の中心的役割を果たしたアラバマ州バーミンガムの公立図書館での調査については全く覚えていないことに我ながら呆れた。
 日本で語られている「青春」には幾つかのバージョンというか、異同がある。作山氏は調査の結果、9個のバージョンを確定し、その関係をとても分かり易い表に纏めている。そして「八十年の歳月の頂から」というウルマンの親族による自費出版の書物(1920年発行)の巻頭にある詩がオリジナルであると突き止めた。このくだりはとても興味深い。
 最後に作山氏は「日本の経営者は『青春』をよく引用する。彼らは人生の一時期において若い人たちではない。そして活動家である。『青春』は同時代の人々に対しての活動家の人たちからの贈物(ギフト)である。ギフトは毒に通ずる。人生を諦観のうちに終えようという人たちにとって、この贈物はどうひびくのだろうか」と書く。
 表題のテーマについてはこれで終わるのだが、以下は書中に書かれているアメリカの図書館のレファレンス・サービスについての一挿話である。
 作山氏は同氏の調査に協力してくれ、多くの資料を提供してくれたバーミンガムの公共図書館のサービスについて「こっちの要求条件さえはっきりしていれば、これだけのことをしてくれるのだから」と感謝の念で書いている。
 作山氏は同図書館に5時間近く滞在し、何部かに纏められた新聞の切り抜きファイルを閲覧し、関係のありそうなパンフレットや自費出版の書籍を読み、106枚の必要なコピーをとった。
 ライブラリアンの一人は少しだがサムエル・ウルマンについて書かれている1920年発行の「バーミンガムとその周辺の歴史」を探し出してくれ、バーミンガムに住んでいるウルマンの孫やウルマンがレイ・ラビ(ユダヤ教の指導者でそれを職業としない人)を務めていた寺院の現在のラビとの連絡も取ってくれた。
 作山氏は「私が求めた以上のことをしてもらった」「ところで連中は私のアイデンティフィケーションを要求しなかった。パスポートも出していない。図書閲覧票や複写要求票に記入してもいない」と書いている。