「乗り鉄」が書いた本

「乗り鉄」が書いた本

KEI(2021年4月14日)

「乗り鉄」「撮り鉄」という言葉を知って久しい。いつの時代にも、老若男女に拘わらず、鉄道に乗ることや鉄道列車の写真を撮ることを楽しむ鉄道ファンが存在する。
 つい最近、この言葉に加えて、「呑み鉄」という言葉を知った。NHKBSプレミアムでときどき放映される「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」という番組によってである。列車の中ではお酒と窓外の風景を楽しみ、沿線の酒蔵と居酒屋を訪ねてその土地のお酒と料理を楽しむ人を言う言葉らしい。
 これらのことから故宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」(河出文庫)、「最長片道切符の旅」(新潮文庫)や「時刻表昭和史」(角川選書)を思い出した。深い教養、知識と知性に裏打ちされた格調高く、軽妙でユーモア溢れる文章で書かれたこれらは、ある時期の私の愛読書であった。著者の宮脇さんは中央公論社の編集長、編集局長、常務取締役を経て作家に転身された人物である。
 私は宮脇さんの「時刻表2万キロ」によって鉄道に乗ること自体が趣味として世間に認知されたと思っている。その結果が現在の「乗り鉄」に繋がっていると言うのが私の意見である。タイトルの「2万キロ」は当時の国鉄の旅客営業キロ数が20,992.9キロメートルであったことに由来する。宮脇さんはその全線を完乗されたのだ。
「最長片道切符の旅」では著者は、有効期間68日、65,000円の北海道・広尾線広尾駅(1987年に廃止)から九州・指宿枕崎線枕崎駅までの最長片道切符を使い旅している。どのようにして一筆書きの最長ルートを選定したのか、興味を抱きつつ読んだものだ。
 著者が自分の少年・青年時代の体験をもとに、昭和8年から昭和20年までの時刻表掲載の鉄道ダイヤ変更の歴史と同時代の歴史を辿った「時刻表昭和史」は私が最も好きな宮脇本である。
 この著書の227頁以下には、米坂線の今泉駅前で玉音放送を聞いたときの思い出が次のように書かれている。
「放送が終わっても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。…時は止まっていたが汽車は走っていた。まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。…こんなときでも汽車が走るのか、私には信じられない思いがしていた。けれども、坂町行109列車は入ってきた。…昭和20年8月15日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」
 本稿はこれで終わるつもりであったが、以下を書いておく必要に気が付いた。
 私は前掲の文章を読んで感激すると同時に長い間、終戦の日にも宮脇さんが乗られた列車にとどまらず、全ての列車が宮脇さんが書かれているように粛々と定時運行されていた、と短絡的に考えていた。
 しかし、2013年7月31日付の読売新聞(朝刊)の「古今をちこち」に書かれた磯田道史さんの文章が短絡的な思考に警鐘を鳴らしてくれた。
 そこには「8月15日の正午、この日誌の著者(天皇の車馬を司る主馬寮の職員)は東京で玉音放送をきいて泣いた。しかし義宮様に乗馬を教えなくてはならない。夕方の4時、上野駅から日光に向かっている。しかし敗戦のショックで『国鉄従業員為す処を知らず列車の運転、為に大遅延。夜12時に漸く日光に着く』。これがこの日誌の終戦記事である」と書いてある。
 何事も短絡的に考えず、一事が万事と思わず、事実はどうか、と考える意識や習慣を常に持つ必要がある。