涙が止まらない二つの挿話

涙が止まらない二つの挿話

KEI(2018年12月12日)

 今まで「図書館とわたし」について幾つかの文章を掲載して戴いた。図書館と本とは、切っても切れない関係にある。この欄の名称も「図書館とわたし 本とわたし」である。「図書館とわたし」の次は「本とわたし」の係わりをいろいろ振り返ってみようと思う。
 私には「その話をするといつも涙が止まらない」二つの挿話が心の中にある。一つは壷井栄の「二十四の瞳」の中の情景であり、他の一つは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中の話である。
 木下恵介監督の映画「二十四の瞳」の最後に次のような場面がある。
 戦争が終わり、母校に勤務しているかつての教え子の呼びかけで、12人のうち消息のわかる6人が集まり、先生と会食をする。会食の場からは瀬戸内海が見えている。参加者それぞれが人生を語り、病死、戦死や消息不明でここに集まれなかった者の話をし、小学校1年生のときに先生と12人全員で一緒に撮った写真を見る。
 教え子のひとりが歌う荒城の月が流れる中、戦争で失明した磯吉(彼はソンキと呼ばれていた、私はこの名前とあだ名は覚えている)が一人一人名前を呼びながら写真の顔を順に指さすが、指さす位置が少しずつずれている。先生は「そうね、そうね」と応じる。私はこの場面を思い出すたびに涙が止まらない。
 壷井栄の小説を映画化したものを、当時13歳だった私は見たのだ。多分、学校の授業の一環として同級生全員と見たのだろう。とても感激し、市立図書館にあったシナリオを読んだ記憶もある。ただ、小説自体を読んだということは覚えていない。シナリオまで読んだのだから小説は当然に読んだに違いない。
 図書館から借り出し再読した小説の最後は、私が覚えている映画の場面そのままであった。
 二つ目は「竜馬がゆく」の中の「安政諸流試合」の項で、作者・司馬遼太郎が「以下、余談だが、書きくわえておこう」として書き残した一話である。竜馬と、同門の北辰一刀流の剣士、会津藩士森要蔵とその四、五歳の息子とが、安政諸流試合の場で出会ったときの状況に続く文章がそれある。
 司馬先生の文章を省略するのも失礼かつ非礼なので、少し長くなるがそのまま書き写す。
「この日から十数年たって会津若松城攻防の激戦が官軍と会津勢とのあいだでおこなわれたとき、白河口の戦闘で、土佐藩士板垣退助指揮の官軍が会津の一隊の拠る雷神山に猛威を加えた。
 官軍とは、武器も人数もはるかに会津は劣っている。雷神山の会津勢も、もはやこれまでと思ったのだろう。
 関羽ひげの老将が、にわかに日ノ丸の軍扇をひらいて、全軍斬りこみを命じた。
 まっさきに山を駆けくだったのは、この老将と、それに前後する一人の美少年である。
 それが、後年の森要蔵と、竜馬にあいさつをした四歳の坊やであった。
 親子は官軍の真直中に切りこむと、まるで舞踏のように美しい剣技をみせたという。
 父が危うくなると、少年が駆けより、少年が危うくなると、父が救った。形影相寄り、相たすけつつ戦うすがたに、官軍の指揮官板垣退助は、しばらく射撃をやめさせたぐらいだったといわれる。
 やがて、子が斃れ、父がその上に折りかさなって斃れたとき、戦鼓が鳴り、官軍が怒涛のようにかばねを踏みにじって雷神山を占領した。
 このはなしは、当時の様子を遠望していた白虎隊生き残りの山川健次郎男爵が、明治後に語りつたえ、語るたびに涙で声が詰まり、ときには号泣したといわれる」(講談社版(一)433頁以下)
 二つの挿話を思い出しながらこの文章を書いたが、涙が滲んできた。