自分とは違う評価も受け入れて

自分とは違う評価も受け入れて

muca(2025年11月5日)

 この短編集の先頭にあるのが「アメイジング・ハット・ミステリー」で、なぜこれが最初におかれているのかが私には不思議。
 帽子をめぐる怪事件というのだが、怪事件になりそうな展開が誰でも最初から想像できそうで、それを予測できない読者がいるとは思えないのである。

 ミスによって起こっただけという単純なことが最後に判明する、という筋書きで書かれていることが読者にバレていないはずがないので、そこがユーモアのつもりなのかもしれないと思ってしまった。つまり、著者P・G・ウッドハウスは、そういう複雑なひねりを加えているのかなと。

 しかし、それに続く「すべてのネコにさようなら」で、彼のユーモアというのは独特のセンスがあるのだなと思えてきた。主人公のフレディが次から次に遭遇するドタバタは、ありえないような彼のドジぶりが原因で、その間抜けな行動の異常さが普通の人間なら起こすはずのないものなので、偶然による悲喜劇という面白さを私は全く感じないのである。

 次の「スティッファム家のツキ」に登場する男は、とんでもない目にあっても仕方がないな、どうぞ結末までボコボコにし続けてくれて結構と思うのだが、最後の最後であっけにとられるようなどんでんがえしで終わってくれた。つまり、わけの分からない理不尽な幸運がこの男に用意されていたのだ。
 このあたりで、私がかすかに残していたかもしれない著者への信頼というものが完全になくなった。つまり、この先いくら読んでも作品への私の評価が挽回されることはないと見切りをつけたのである。

 最後の「訳者付言」の中に、「アメイジング・ハット・ミステリー」を訳者の片割れ(と訳者が言う人物)が、ウッドハウスの全短編中の白眉はこれではないかと考えている、というのだが、続けて、ファンの間でも「これだけは何が面白いのか分からない」という声がしばしば聞かれるようだが…、と(私には至極まともに思える)読者の声に反論しているところがあり、それはそれで一つの見方なのだなと思う。

 本という作品にはいろいろな評価があり、それに自分の見方が刺激されるのも楽しいと思うことにしよう。