老いたる母
何年前のどの新聞の歌壇だったか、記憶は定かではないが「百歳の母に八十の友来たり楠公正行の別れの歌和す」が選ばれていた。「楠公正行」には「なんこうまさつら」とルビが振ってあった。
百歳の母というからにはこの短歌の作者も七十歳台だろう。正成、正行を正しく読める若者がどれだけいるか、心もとないが、この三人、百歳の母、八十の友、この短歌の作者には「青葉茂れる桜井の」で始まる楠公正行の桜井の駅の別れを詠った「桜井の訣別」(作詞:落合直文、作曲:奥山朝恭)は、若き日を思い起させる歌なのだろう。
私自身もこの歌は6番まで正確に歌える(注)。歌いながらいつも気になるのは、5番の最後のフレーズである「行けよ正行 故郷へ 老いたる母の 待ちまさん」である。
この別れの後の湊川の戦いで、楠正成が自害したのは延元元年(建武3年)5月25日(1336年7月4日)で 43 歳だとされている。とすると正行の「老いたる母」である正成の妻は 40 歳台以下と思われ、現在の我々の「老いたる」という感覚と大きなずれがあるように思うのだ。
楠正成の「妻」については、「楠木正成の夫人は名は久子といい、甘南備の豪族南江備前正忠の妹で、ここ甘南備の矢佐利に生まれた。1323年(元亨3年)20歳で正成と結婚。二人の間に、正行、正時、正儀を始め6人の子がいる」との記述を見つけた。この記述が正しいとすれば、桜井の駅での別れの時の正成の妻(正行の母)の年齢は 33 歳ということになる。
「老いたる」というのは、作詞者落合直文の詩的真実と考えるべきなのだろう。こう思っていたが、桜井の駅での別れのときの正行の年齢を 20 歳前後とする説もあるらしい。この説が正しいとしても、 40 歳前後の女性を「老いたる」というのは、すこし気の毒だ。
と、ここまで書いて、この文章を一旦終えた。その後何かの拍子に作家阿川弘之の娘である阿川佐和子の発言を思い出した。彼女のエッセイのどこかに書かれていたか、あるいはインタビューでの彼女の発言であったかは不明である。
そこでは阿川佐和子は自らの結婚に関して「父は私が 27 歳になったとき、歌舞伎の世界では 27 歳は“ロウジョ”と言うんだ。早く結婚しろ、と言った」という。文化勲章も受賞している文学界の大物が 20 代の娘をつかまえて、嘘をつくはずはない。 27 歳がロウジョとはどういうことだ、と気になった。
調べてみると文楽の頭に老女方(ふけおやま)というのがあり、説明には「 20 代から 40 代までの婦人役です。時代物・世話物のどちらにも幅広く使われます」とあったが、歌舞伎に関しては調べが行き届かなかった。
そうすると落合直文が「老いたる母」と言ったのは、歌舞伎や文楽の素養からのごく自然な発想で、明治後期の人々はそれを当然のことと理解し、受け入れていたのだろう。とこう結論付けたが、文楽や歌舞伎の知識が全くない素人の杜撰な推理である。諸賢のお教えを乞いたい。
(注)
その後この歌は正しくは「楠公の歌」で 15 番まであり、6番までの「桜井の訣別」に続いて7番、8番の「敵軍襲来」、9番から 15 番の「湊川の奮戦」があることを知った。
百歳の母というからにはこの短歌の作者も七十歳台だろう。正成、正行を正しく読める若者がどれだけいるか、心もとないが、この三人、百歳の母、八十の友、この短歌の作者には「青葉茂れる桜井の」で始まる楠公正行の桜井の駅の別れを詠った「桜井の訣別」(作詞:落合直文、作曲:奥山朝恭)は、若き日を思い起させる歌なのだろう。
私自身もこの歌は6番まで正確に歌える(注)。歌いながらいつも気になるのは、5番の最後のフレーズである「行けよ正行 故郷へ 老いたる母の 待ちまさん」である。
この別れの後の湊川の戦いで、楠正成が自害したのは延元元年(建武3年)5月25日(1336年7月4日)で 43 歳だとされている。とすると正行の「老いたる母」である正成の妻は 40 歳台以下と思われ、現在の我々の「老いたる」という感覚と大きなずれがあるように思うのだ。
楠正成の「妻」については、「楠木正成の夫人は名は久子といい、甘南備の豪族南江備前正忠の妹で、ここ甘南備の矢佐利に生まれた。1323年(元亨3年)20歳で正成と結婚。二人の間に、正行、正時、正儀を始め6人の子がいる」との記述を見つけた。この記述が正しいとすれば、桜井の駅での別れの時の正成の妻(正行の母)の年齢は 33 歳ということになる。
「老いたる」というのは、作詞者落合直文の詩的真実と考えるべきなのだろう。こう思っていたが、桜井の駅での別れのときの正行の年齢を 20 歳前後とする説もあるらしい。この説が正しいとしても、 40 歳前後の女性を「老いたる」というのは、すこし気の毒だ。
と、ここまで書いて、この文章を一旦終えた。その後何かの拍子に作家阿川弘之の娘である阿川佐和子の発言を思い出した。彼女のエッセイのどこかに書かれていたか、あるいはインタビューでの彼女の発言であったかは不明である。
そこでは阿川佐和子は自らの結婚に関して「父は私が 27 歳になったとき、歌舞伎の世界では 27 歳は“ロウジョ”と言うんだ。早く結婚しろ、と言った」という。文化勲章も受賞している文学界の大物が 20 代の娘をつかまえて、嘘をつくはずはない。 27 歳がロウジョとはどういうことだ、と気になった。
調べてみると文楽の頭に老女方(ふけおやま)というのがあり、説明には「 20 代から 40 代までの婦人役です。時代物・世話物のどちらにも幅広く使われます」とあったが、歌舞伎に関しては調べが行き届かなかった。
そうすると落合直文が「老いたる母」と言ったのは、歌舞伎や文楽の素養からのごく自然な発想で、明治後期の人々はそれを当然のことと理解し、受け入れていたのだろう。とこう結論付けたが、文楽や歌舞伎の知識が全くない素人の杜撰な推理である。諸賢のお教えを乞いたい。
(注)
その後この歌は正しくは「楠公の歌」で 15 番まであり、6番までの「桜井の訣別」に続いて7番、8番の「敵軍襲来」、9番から 15 番の「湊川の奮戦」があることを知った。