フランダースの犬

フランダースの犬

啓(2023年9月13日)

  23 年間に亘ってベルギーに関わってきた著者がベルギーとの触れ合いの中で感じたさまざまをエッセイの形で取り纏めた「晴れた日のベルギー」(宮下南緒子、丸善ブックス)はいろいろな切り口でベルギーを描いているが、その本質は「ベルギー気質」を書くことにあるのだろう。短文で読み易いエッセイ集だった。また、各エッセイに添えられた藪野 健氏のスケッチが素晴らしい。
 この本の前書きで著者は小学校の頃に読んだ「フランダースの犬」について触れ、あまりにも悲しい物語の結末に「母親に呼ばれても返事をする声も出なかった。泣きべそ顔の私を見て母はびっくりした」と書いている。
 私もベルギーと聞くと最初に「フランダースの犬」を思い出す。そして語られているネロとパトラッシュの悲しい物語を。老齢になった今でもこの物語を思い出すと自然と目頭が熱くなる。
 ここでは私たち夫婦がこの物語の舞台のホーボーケンを訪れて知った幾つかの話を書く。
 ベルギー・オランダ旅行中の一日、アントワープにあるノートルダム大聖堂を訪れ、ネロ少年がどうしても見たかった、そして死の直前に見た、ルーベンスの祭壇画を彼らの悲しい物語を思い出しながら見た後にホテルに入ったのだが、その時にそのホテルの所在地がホーボーケンであることを知った。
 その地名を聞いた妻は「ネロとパトラッシュの村に近いのに違いない」と言い、夕食までの3時間30分を利用して二人で訪れることとした。ガイドブックには「アントワープからトラム4番に乗り、トラムの終点のカペル通りで降りると、ホーボーケン村の観光案内所があり、その建物の前には少年ネロとパトラッシュの像が建っている云々」と書いてある。
 この案内を信じ、そしてトラムの乗客の若い男女の助けを得て目的地に着いた。そこにはネロとパトラッシュの銅像があった。銅像のパトラッシュはちょっと私のイメージとは違うなあ、と思いながら写真を撮った。
 その後、案内所で幾つかのパンフレットと地図を貰い、「ネロとパトラッシュの散歩道」という小冊子を買い、ネロとパトラッシュが葬られたとされるかつて墓地だった教会の裏庭や小学校兼幼稚園の庭に再建された五分の一の小さな風車を訪れた。
 この時に手に入れたオランダ語、英語、日本語の3ヶ国語で書かれた“Nello Patrasche”には「フランダースの犬」に纏わる興味深い話が書いてある。
 それによるとアントワープやホーボーケンでは「フランダースの犬」の物語を知る人はいなかった。しかし、アントワープを訪れる多くの日本人観光客から「フランダースの犬」について尋ねられることに疑問を抱いたアントワープ観光局の職員がその原因を調査し、英国の作家ウィーダが書いた日本で大変人気のある子供向けの本が原因であることを突き止めた。物語はノートルダム大聖堂から5キロメートル離れた赤い風車のある村を舞台にしていることから、その村がホーボーケンであることが確認された。そこでそこにネロとパトラッシュの像を作る計画が立てられた。その除幕式(1985年)には駐ベルギー日本大使やアントワープ市長が出席した。それまでは「フランダースの犬」についてホーボーケンでは知る人もいなかったのに。
 名所はこのようにして作られるという典型的な話だが、「フランダースの犬」の物語が大好きな人たちにとってはこれでいいのだ、と思う。現に私たちは「今私たちが乗っているトラムが通る道をかつてネロとパトラッシュが重いミルク缶を積んだ荷車を引いて通ったのだろう」と思い、彼らの銅像の写真や風車の写真を撮ったのだから。
 そして、銅像の写真を撮るだけが目的の日本人観光客を乗せたバスも現れたのだから。