バーミヤンの石仏
大学写真部の後輩が「バーミヤン残影」とのタイトルの自らの写真を集めた写真集を贈ってくれた。彼は私より数歳若く現役時代の写真部活動での直接の接点はなかったが、最近に至り何回かのメールの遣り取りがあった。
彼は大学4回生の頃にバーミヤンに行きたいと思ったそうだ。1年遅れて卒業し新聞社に入社、その後ニューデリー支局に赴任、最初にタリバンの取材をしようとしたという。
送られてきた写真集には 1995 年から 2003 年にかけてのバーミヤン仏教遺跡とこれに関連する写真が収められていた。
1997 年の写真には破壊される前の高さ 55 mの西大仏とその前を頭に荷物を載せ、歩いている地元の女性数名が写っている。 2001 年の写真には無残に破壊された西大仏とその前に集まっている 10 名強のタリバン兵士が写っている。このときに同時に撮られた写真の中に「悪は消えた」という落書きがある岩もあった。
写真集の最後の写真は破壊された東大仏(38m)とその前をロバに乗った老人がゆっくり進んでゆく 2001 年に撮影された写真だった。その写真には「破壊の生々しい傷跡は麦畑や並木の緑の中に溶け込んでしまって、古代から変わらぬシルクロードののどかな雰囲気がある」とのコメントが書かれていた。
写真集の最後のこの写真を見た私の感想、想いに対して彼は「私もそのように思い、この写真を載せました」との返事をくれた。
話は変わる。
図書館で句集や短歌集の棚を眺めていた時、「皇后美智子さまのうた」(朝日新聞出版、安野光雅)が目についた。何気なく手に取ったが、そこには皇后美智子さまのうたとそれに関する安野さんの文章さらには極めて上品に描かれた植物の水彩画が添えられていた。
この本に収められた最初の短歌はアフガニスタンに関するもので、
果の地の白砂のさ中空の青落ちしがに光る湖ありき
知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在さず
バーミアンの月ほのあかく石仏は御貌削がれて立ち給ひけり
だった。
安野さんは第二、第三の御歌に関して「わたくしも写真その他で、顔を撃たれた御仏を見たことがある。戦う相手が大切におもうらしい文化の核心に弾を撃ち込んでも、撃つ方は痛みを感じないというところが、相手の国の旗を焼くなどの意思表示と似ているような気がする。一説には偶像崇拝を禁じている宗教を持つものが、仏像を見た場合の反応だとも聞くが、たしかなことはわからない。文化の違う所に立つ自分自身をかえりみて、何もできなかった自分もまた「知らずして」(相対的に)弾を撃つ立場にいたのではないか、と哀しまれるおもいは、痛切である」と書く。
彼は大学4回生の頃にバーミヤンに行きたいと思ったそうだ。1年遅れて卒業し新聞社に入社、その後ニューデリー支局に赴任、最初にタリバンの取材をしようとしたという。
送られてきた写真集には 1995 年から 2003 年にかけてのバーミヤン仏教遺跡とこれに関連する写真が収められていた。
1997 年の写真には破壊される前の高さ 55 mの西大仏とその前を頭に荷物を載せ、歩いている地元の女性数名が写っている。 2001 年の写真には無残に破壊された西大仏とその前に集まっている 10 名強のタリバン兵士が写っている。このときに同時に撮られた写真の中に「悪は消えた」という落書きがある岩もあった。
写真集の最後の写真は破壊された東大仏(38m)とその前をロバに乗った老人がゆっくり進んでゆく 2001 年に撮影された写真だった。その写真には「破壊の生々しい傷跡は麦畑や並木の緑の中に溶け込んでしまって、古代から変わらぬシルクロードののどかな雰囲気がある」とのコメントが書かれていた。
写真集の最後のこの写真を見た私の感想、想いに対して彼は「私もそのように思い、この写真を載せました」との返事をくれた。
話は変わる。
図書館で句集や短歌集の棚を眺めていた時、「皇后美智子さまのうた」(朝日新聞出版、安野光雅)が目についた。何気なく手に取ったが、そこには皇后美智子さまのうたとそれに関する安野さんの文章さらには極めて上品に描かれた植物の水彩画が添えられていた。
この本に収められた最初の短歌はアフガニスタンに関するもので、
果の地の白砂のさ中空の青落ちしがに光る湖ありき
知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在さず
バーミアンの月ほのあかく石仏は御貌削がれて立ち給ひけり
だった。
安野さんは第二、第三の御歌に関して「わたくしも写真その他で、顔を撃たれた御仏を見たことがある。戦う相手が大切におもうらしい文化の核心に弾を撃ち込んでも、撃つ方は痛みを感じないというところが、相手の国の旗を焼くなどの意思表示と似ているような気がする。一説には偶像崇拝を禁じている宗教を持つものが、仏像を見た場合の反応だとも聞くが、たしかなことはわからない。文化の違う所に立つ自分自身をかえりみて、何もできなかった自分もまた「知らずして」(相対的に)弾を撃つ立場にいたのではないか、と哀しまれるおもいは、痛切である」と書く。