大阪の洒落言葉

大阪の洒落言葉

啓(2023年4月19日)

 吉本新喜劇の影響だろうか、関西出身の若手タレントに原因があるのだろうか、テレビで大阪弁と称して使われている品のない、猥雑な言葉が気になって仕方がない。そもそも大阪弁なる言葉遣いがあるのだろうか。同じ大阪と言っても、摂津、河内、泉州では言葉遣いが大きく異なる。話せる人は少なくなったが、大阪の中心である船場の旦那さんやご寮はんの言葉はとても美しいのだ。
 テレビで大阪弁として喧伝されているような言葉は私にとっては吉本弁、大阪若手芸人弁である。私や妻の言葉を彼らの言葉と「いっしょくた(一緒腐)」にして大阪弁と言って欲しくない。
 と言葉遣いについて、気になっていることをいささか品のない表現で書いた上で、大阪人がかつて使っていた洒落言葉を紹介する。最近の若い人や東京人には解らないかも知れない。
 大阪の郷土史家の代表と目されている牧村史陽さんの「大阪ことば事典」(講談社学術文庫)には「大阪の洒落ことば」が付録として付いている。これが滅法面白い。
 私が皮肉を込めて使いたくなるのは「うどん屋の釜」である。今まで口に出して言ったことはないが、心の中ではよく言う。「うどん屋の釜」の中は「湯だけ」で、言うだけで実行力の伴わない、口先だけの人間を指している。同じような意味の言葉には「髪結いの正月」があるが、もう時代遅れだろう。髪結いさんは正月には食事の時間も惜しんで一所懸命に髪を結う、「髪を結うばかり」で「言うばかり」となる。この言葉も口先ばかりの人間を指している。
 これらによく似た意味の言葉に「やもめの行水」がある。主人が行水をする場合にお湯を取ってくれるのは奥さんであるが、やもめには奥さんがいない。その結果「勝手に湯取れ」となる、つまり「勝手に言うとれ」である。理屈ばかりを言っている人間に対する非難の言葉であり、相手にしないことを意味する。
 単なる物知りは「牛のおいど」である。「おいど」とは「お尻」のことであるが、大阪弁と称する言葉を使っている最近の若手の芸人は知っているだろうか。「牛のおいど」とは「モウの尻」、即ち「物知り」である。この言葉は相手を尊敬しているのではなく「単なる物知り」に過ぎない、何か成果を挙げてこそ物を知っている意味がある、単に物を知っているだけでは意味がない、ということを「牛のおいど」で表現している。
「坊主のはちまき」という言葉もある。谷沢永一氏はその著書「読書人の浅酌」(潮出版社)の中でこの言葉を説明するに際し、例として何人かの大学教授が一つのテーマをそれぞれ部門別に手分けして調べるという形式で行っている共同研究を、皮肉を込めて、挙げていた。そこでは「自分はわずかしか勉強しなくても、他の人が勉強した分を全部耳で聞けるわけですから、耳学問と言ってさしつかえない」と書いている。
 ところで「坊主のはちまき」の意味はどういうものか。「坊主のはちまき」はどこで止まるか。毛髪のある人間の場合、はちまきは髪で止まる。髪を剃っている坊主の場合は、耳でようやく止まる。つまり「坊主のはちまき」は「耳で持っている」。自分ではちゃんと勉強せずに、あっちで聞いたことをこっちで言い、こっちで聞いたことを別のところで言う、という「耳でもっている受け売り屋」を「坊主のはちまき」と言う。谷沢氏はこの言葉は「聞きかじりを偉そうに吹聴するのはけしからん」という意味が込められている、と言う。
 落語家・桂文珍さんの関西大学での講義を纏めた「落語的学問のすすめ」(潮出版社)にも同じような洒落ことばが載っている。
 東京の下町にも同じような洒落言葉がありそうだが、大阪人の私は知らない。ただここに書いたような洒落言葉は船場の旦那さんやご寮はんの言葉ではなく、これらの人に使われていた丁稚さんやこれらの人の家に出入りしていた職人さんの言葉ではある。
 洒落ことばではないが、「大阪学 世相編」(大谷晃一、経営書院)にも言葉に関する幾つかのエッセイがあり、これも読んで楽しい。