命のビザ

命のビザ

啓(2022年12月14日)

“日本のシンドラー”と称されている杉原千畝リトアニア領事代理の有名な「命のビザ」に関する話は知っている。命のビザの発行に関して私が抱いている若干の疑問の解決と杉原千畝自身やその行動についてもう少し当時の政治情勢と関連付けて勉強しようとの思いで、入手できた下記の4冊を読んだ。
「六千人の命のビザ」(杉原幸子、朝日ソノラマ)「諜報の天才 杉原千畝」(白石仁章、新潮選書)「千畝 1万人の命を救った外交官杉原千畝の謎(原題 In Search of Sugihara)」(H.レヴィン著、諏訪澄、篠輝久訳、清水書院)「杉原千畝と日本の外務省」(杉原誠四郎、大正出版)。
 杉原千畝が、記録されているだけで2,139枚の日本の通過ビザを発行し、数多くのユダヤ人の命を救ったことは紛れもない事実であり、また領事館を閉鎖し、公印を次の任地であるベルリンに送ってしまった後も、ビザに代わる渡航許可証を発行しユダヤ人の命を救おうとした事実も残されている。
 私の小さな疑問は杉原千畝のこの行為、行動が巷間語られているように「法律に違反し、さらに当時の日本政府の意向に反して行われた」のかどうかである。もし本当に「法律違反」のビザ、「日本政府の意向に反した」ビザであったとすると、このビザを使ってなぜ日本国に入国でき、そこから中南米オランダ領キュラソに出国できたのか、ということにある。
 上記の書物(「杉原千畝と日本の外務省」)には、次のような記述がある。
 当時の日本の外務省の規定では「日本に入国滞在する入国ビザは本省に事前打ち合わせする必要があったが、通過するだけの通過ビザならば領事の判断だけでできる」ことになっていた。この規定は、ビザの発給に関して領事に裁量権があることを示している。ただ、優秀な外務官僚として杉原千畝は自己の保身は図っている。多量の通過ビザ発行について本省の許可を求めたり、本省に「ウラジオストックでは行き先国等、上陸許可等の要件を満たした者のみ、乗船させよ」と伝えたりしている。杉原はあくまで合法範囲内の行為であることに拘っていた。
 また、合法であることを示す傍証としては「松岡(洋右)は、通過ビザによる日本滞留期間を10日から外国に出発する準備に必要な1ヶ月に延ばすことを示唆し実行させている」という事実もある。
 さらに幸子夫人の著書(「六千人の命のビザ」)には「お金を持たない人たちのために、アメリカのユダヤ人避難民救援会を組織して、日本やソ連の旅行社との交渉にあたりました。ユダヤ人協会が保証することを条件に、シベリア鉄道はソビエト国営旅行社インツーリストが、ウラジオストックからアメリカまでの斡旋は現在の交通公社の前身だったジャパン・ツーリスト・ビューローが引き受けることになりました」「アメリカのユダヤ人協会とジャパン・ツーリスト・ビューローとの契約を認めていた外務省は、一方では、ウラジオストックにあった日本領事館に『受け入れ国の入国許可を持つものだけを乗船させろ』という命令を出していました」と書かれている。
 よくは分からない記述だが、旅費を持たないユダヤ人が目的地まで行けるようにユダヤ人協会が保証し、それを外務省が認めて「旅費を持っている」と判断したということか。
 これらの事実から考えると、杉原千畝は当時の一部政府の関係者の意向には沿わなかったかも知れないが、全く法律規定を無視して日本通過ビザを発給したとは思えない。もし、法律違反の通過ビザならば、入国拒否が当然ではないだろうか。それにも拘わらず、なぜ当時の日本政府が入国を拒否しなかったのか、そして日本滞留期間を延長するという恩典まで与えたのか、この間の事情をぜひ知りたいと思っている。
 この4冊では、その他「6,000人という数字は何に基づいているのか」とか「杉原千畝は、日本政府の指示あるいは法律違反を犯したことを理由に外務省を追われたのか」とかについてもいろいろと検討されているが、法律を勉強した私の関心は専ら「杉原千畝は法律規定に違反して日本通過ビザを発給したとは思えない」点にある。
 これらの本を読んで巷間「杉原千畝は、外務省の命に背いてユダヤ人に日本を通過するビザを発給し、数多くのユダヤ人の命を救った」とされているのはちょっと違うのでは、と思ったことである。杉原千畝は優秀な外交官として法律規定を最大限に拡張解釈し、自らの保身も図りつつ裁量の範囲内という形で、ビザを発給したのだろう、
 ただ、多くのユダヤ人のために寝食を忘れ、さらには大使館閉鎖後もビザの発給に努めたことは忘れてはいけない。バルト3国を訪れた際、リトアニアのカウナスにある旧日本領事館(現在は杉原記念館となっている)の杉原千畝の机の前に置かれた椅子に彼がそうしていたような形で座った私はそう思う。
 最後に、昭和44年(1969年)、杉原千畝が初めてイスラエルに招待されて勲章を授与されたとき、イスラエル在の日本大使館は彼の滞在を無視するような行動をとったとされている(寡聞にして私はこのことを知らない)が、もしそうであればその理由は何なのだろう。