「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」

「開高健ポ・ト・フをもう一度」

啓(2022年12月7日)

 開高 健の著作は新潮社版「開高 健全集」全 22 巻に収められている。ここに収められていないエッセイ等を調査し、世に出したのが谷沢永一・山野博史共編の「開高 健 われらの獲物は、一滴の光り」( KK ロングセラーズ)である。
 そして、その後に山野博史が発掘し纏めた逸文の一冊がこの「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」となる。
 ○○全集と言う言葉を聞くと、私などはその人物の全ての著作が含まれている全集である、それを読破(これがなかなか難しい、というより私には不可能である)すればその著者の全てを読んだことになる、と思ってしまう。
 ところが書誌学者に言わせると多くの全集にはいろいろと逸文、遺漏があるそうだ。ことに完璧と言われている全集ほど危ない、として「定本柳田国男集」(筑摩書房)や「定本漱石全集」(岩波書店)が取り上げられている。「露伴全集」(岩波書店)などはもう一冊発行できるぐらいの遺漏があるそうだ。
 書誌学的には「完璧な全集というのはこの世に存在しない」ことになりそうだ。
 全集という名を冠する限り、著者が月報、パンフレット、内容見本、アンケートに書いたものや、インタビュー、座談会や対談での発言さらには談話の記録なども含むべきであろう。例えそれがあまり意味を持っていないと思われても。
 どの作家についても全集は「敬して遠ざけている」私であるから、逸文、遺漏を集めたに過ぎない「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」を読む意味はどこにある、と言われそうだ。その言は正しいが、この本を読んでいると開高 健という人物の知られざる側面が顔を出しているような気にもなる。と同時にこのような諸々を発掘した著者の開高 健に対する尊敬の念と学者としての地道な努力を感じる。
 エッセイ 20 編、インタビュー9編、談話記録6編等、合計49編が収録された本を楽しく読んだ。
 そこには開高 健の新刊「紙の中の戦争」についてのインタビューの際の発言として「しかし残念ながら、人類はたたかう理由を発見し続けていきます」が載っていた。
 また、朝日新聞の「文学はどこへ」のインタビューでは「・・・いま人間は精神のダイエットを忘れているんじゃないですか。でも精神のぜい肉がふえる一方で、実は本物を求める要求が強くなっているような気がする。そして、ものみな過剰生産の時代に読者をダイエットさせるのが、文学でありますまいか」という。