エリートという言葉、教養という用語

エリートという言葉、教養という用語

KEI(2022年8月31日)

  2022 年4月10日付読売新聞朝刊の書評欄に掲載されていたある書評が目に止まった。テレビ画面でもお馴染みの元新聞記者、現読売新聞特別編集委員で大変な読書家でもある橋本五郎さんによる「エリートと教養 ポストコロナの日本考」(村上陽一郎、中公新書ラクレ)の書評である。
 38行の文章のうち対象図書に言及しているとはっきり分かる文章は最後の5行であり、他の文章は著者の意見や考えを書評者が纏めあるいは別の言葉で言い換えた文章のようにも思われたが、書物に取り上げられている問題に関しての書評者自身の意見、見方をそれとなく披歴したものかも知れない。
 字面からはどこまでが書評でどこからが書評者自らの意見かよく分からなかったが、このことはともかく「もう本は買わない」と決めている身を直ちに本屋に向かわせた見事な文章だった。
 この本は、現在では揶揄と蔑視のニュアンスを含んで発言されることが多い“エリート”と“教養”について、“エリート”とは普通の人びとよりも、より多くの義務を背負った存在であり、“教養”とは野放図な欲望の発揮を押さえる慎みであることを語義に照らして教えてくれる。語義からの説明や関連事項による補足はいささか読むのに疲れたが、知らなかった諸々を理解することができた。
 “教養”について、大事な場面でより良いものを選び実行すると同時に他のより良い選択肢の可能性への余地を自らに残す源泉、と書いているのは納得できた。
 “日本語と教養”の項では、イギリスにおける階級化している言葉からスタートし、最近の我が国を席捲している(と私には思われる)種々の聞くに堪えない発音、意味不明の略語等を槍玉に挙げているが全く同感である。現在では美しい日本語を聞く機会が少なくなっていると思っている著者、評者や私は少数派なのだろう。
 古今東西の該博な教養と知識に溢れたこの書物は、エリートの本来の意味、分かったようで分からない言葉である教養についての具体的な問題点を知るには恰好の書物である。
 最後に余談を二つ。
 その一は、“詩文を朗詠する”の項で土井晩翠の「星落秋風五丈原」について3頁に亘って触れてあったのには、現在でもこの長い詩をそれほどの誤りもなく暗唱できるほど好きな私にとっては嬉しいことだった。
 その二は、美しい日本語の話し手として、私が常日頃から感心している年配のNHKアナウンサーの名前が書かれていたのにもその判断に心から同意した。