桔梗(キキョウ)
日曜日の朝のEテレ番組で「桔梗」についての放映があった。途中から見たこともあり、全体がどのような構成だったかは分からないが、桔梗が絶滅危惧種になっていることや八重咲の桔梗、絞りの花が咲く桔梗が紹介されていた。併せて桔梗の育て方も。
台所に立っている妻に「八重咲の桔梗があるそうだ」と声をかけたところ、「桔梗はやっぱり青紫の一重の花でしょ」との答。桔梗に清楚な感じ、貴(あて)やかだが少し淋しそうな感じを抱いている私も妻の意見に同感である。
書棚には「桔梗が絡む思い出に関係する本」と「桔梗の場面が心に残っている本」がある。
「桔梗が絡む思い出に関係する本」は当時大徳寺大仙院の住職であった尾関宗園さんのサインが入った新書版の「不動心」(徳間ブックス)であり、「桔梗の場面が心に残っている本」は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」(文春文庫)第3巻である。
高校卒業後、2~3年経った頃のことだが、中学・高校時代の国語教師であった恩師に誘われて2人で大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。
大仙院の本堂(方丈)の北東にある「書院の間」の前の小さな、記憶では数坪ほどの、幾つかの石が置かれた枯山水の庭を「ごちゃごちゃした庭だなあ」と眺めていると、一人の和尚さんが現われ「鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる滝が、大河となって大海に流れ込む様を表現し、滝、橋、舟などをすべて石で表わす。この狭い空間に広大な景観を表現したものだ」等々を含め、大きな声で丁寧に説明して下さった。同時に当時若かった私にいろいろと人生についても話して下さったようであるが、全く記憶していない。かなり長い間お話していたと思う。
その後、何かの機会にこの和尚さんは尾関宗園さんといい、著作もある名物和尚だと知り、直ちに買ったのが「不動心」だった。この本にはどういう訳か、尾関さんのサインがなされていた。
このときの恩師や尾関宗園さんの思い出が、桔梗に連なる。
大仙院を辞した後、真珠庵を始め大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。高桐院あるいは芳春院の何れか、たぶん高桐院だと思っているが、その本堂の前の庭には白砂が撒かれ、そこに数多くの桔梗が咲いていた。現実はどうだったか、記憶ではこのようだった。そして「桔梗の庭とは」と驚いたことや「石や苔の庭もいいが、桔梗の庭もいいな」と思ったことをよく覚えている。
この文章を書くにあたり、調べてみると現在では高桐院、芳春院いずれにも桔梗の庭はないようだ。これら以外の塔頭も含めて「かつて桔梗が庭一面に植えられていた」という記述も見つけることはできなかった。しかし、私の心の中には60年近く前の「桔梗が一面に咲いている大徳寺塔頭の庭」と恩師と尾関宗園さんが鮮やかに残っている。
次に「桔梗の場面が心に残っている愛読書」は、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」である。その第3巻には、久し振りに千葉道場へやってきた竜馬が見た桔梗、千葉道場のさな子が竜馬への想いを託し庭の片隅に植えた桔梗が、さな子とその兄である千葉重太郎との会話で描かれている。文章が長くなるので引用は差し控える。桔梗は竜馬の紋所である。
この桔梗も司馬さんの文章と共に心に残っている。
因みに桔梗の花言葉は「永遠の愛」「誠実」「清楚」「従順」である。そして桔梗の青紫色は「桔梗色」と名付けられている「貴やか」な色である。
台所に立っている妻に「八重咲の桔梗があるそうだ」と声をかけたところ、「桔梗はやっぱり青紫の一重の花でしょ」との答。桔梗に清楚な感じ、貴(あて)やかだが少し淋しそうな感じを抱いている私も妻の意見に同感である。
書棚には「桔梗が絡む思い出に関係する本」と「桔梗の場面が心に残っている本」がある。
「桔梗が絡む思い出に関係する本」は当時大徳寺大仙院の住職であった尾関宗園さんのサインが入った新書版の「不動心」(徳間ブックス)であり、「桔梗の場面が心に残っている本」は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」(文春文庫)第3巻である。
高校卒業後、2~3年経った頃のことだが、中学・高校時代の国語教師であった恩師に誘われて2人で大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。
大仙院の本堂(方丈)の北東にある「書院の間」の前の小さな、記憶では数坪ほどの、幾つかの石が置かれた枯山水の庭を「ごちゃごちゃした庭だなあ」と眺めていると、一人の和尚さんが現われ「鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる滝が、大河となって大海に流れ込む様を表現し、滝、橋、舟などをすべて石で表わす。この狭い空間に広大な景観を表現したものだ」等々を含め、大きな声で丁寧に説明して下さった。同時に当時若かった私にいろいろと人生についても話して下さったようであるが、全く記憶していない。かなり長い間お話していたと思う。
その後、何かの機会にこの和尚さんは尾関宗園さんといい、著作もある名物和尚だと知り、直ちに買ったのが「不動心」だった。この本にはどういう訳か、尾関さんのサインがなされていた。
このときの恩師や尾関宗園さんの思い出が、桔梗に連なる。
大仙院を辞した後、真珠庵を始め大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。高桐院あるいは芳春院の何れか、たぶん高桐院だと思っているが、その本堂の前の庭には白砂が撒かれ、そこに数多くの桔梗が咲いていた。現実はどうだったか、記憶ではこのようだった。そして「桔梗の庭とは」と驚いたことや「石や苔の庭もいいが、桔梗の庭もいいな」と思ったことをよく覚えている。
この文章を書くにあたり、調べてみると現在では高桐院、芳春院いずれにも桔梗の庭はないようだ。これら以外の塔頭も含めて「かつて桔梗が庭一面に植えられていた」という記述も見つけることはできなかった。しかし、私の心の中には60年近く前の「桔梗が一面に咲いている大徳寺塔頭の庭」と恩師と尾関宗園さんが鮮やかに残っている。
次に「桔梗の場面が心に残っている愛読書」は、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」である。その第3巻には、久し振りに千葉道場へやってきた竜馬が見た桔梗、千葉道場のさな子が竜馬への想いを託し庭の片隅に植えた桔梗が、さな子とその兄である千葉重太郎との会話で描かれている。文章が長くなるので引用は差し控える。桔梗は竜馬の紋所である。
この桔梗も司馬さんの文章と共に心に残っている。
因みに桔梗の花言葉は「永遠の愛」「誠実」「清楚」「従順」である。そして桔梗の青紫色は「桔梗色」と名付けられている「貴やか」な色である。