石上露子と小板橋

石上露子と小板橋

KEI(2022年6月15日)

 机の引き出しの奥から昭和53年7月28日付の日本経済新聞記事の切り抜きが見つかった。「誰がための恋の嘆き」と題された、当時和光証券常務だった松本和男氏によるこの203行の記事は、石上露子の「小板橋」という絶唱で始まり、彼女に纏わる諸々についての丹念な調査の結果が記述されている。
  ゆきずりのわが小板橋
  しらしらとひと枝のうばら
  いづこより流れか寄りし。
  君待つと踏みし夕に
  いひしらず沁みて匂ひき。
  今はとて思い痛みて
  君が名も夢も捨てむと
  なげきつつ夕わたれば
  ああうばら、あともとどめず
  小板橋ひとりゆらめく。
 彼女は、南河内随一の豪商の長女として生まれ、天性の美貌と気品と聡明さと自主的な性格の持ち主だったという。古典的教養は幼少の頃から身に付けており、書画、琴、上方舞、薙刀でも才能を示したとされている。明治36年秋、与謝野鉄幹、晶子主宰の新詩社に入社、41年1月まで「明星」に詩1篇、短歌80首、美文5章を発表して姿を消した。
 発表された多くの短歌は、他の女性歌人の「恋情を訴えるもの」とは異なり「実らぬ恋の絶望感」を詠うものだった。
 女中のお供なしでは外出も許されなかった彼女には19歳のときに相知った忘れられない青年がいたそうだ。松本氏はこの悲恋の相手とされる高等商業(現在の一橋大学)の学生であった長田正平氏のその後を追跡している。新聞記事では松本氏は「そこで、昭和34年ごろから私の長田氏追跡が始まった。・・・しかし、(東京空襲による戸籍資料の消失により)これ以上は現在、どうにも調べようがない。・・・かの絶唱をより深く味わうためにも、今後も調査を続けたいと思っているが」で文を閉じている。
 その松本氏の研究、調査の結果が2000年10月に中央公論新社から発刊された587頁に及ぶ堂々たる「評伝 石上露子」である。
 サラリーマンとしての生活を全うし、その傍ら仕事から離れた分野の研究でこのような著作を残された松本氏に同じくサラリーマン生活を送った者として最大の敬意を表する。
 余談であるが、松本和男編著「論集 石上露子」(中央公論事業出版)には千秋次郎さんが「小板橋」に付けた曲が掲載されている。音符の読めない私にはどのような曲かは分からない。