人称代名詞

人称代名詞

KEI(2022年5月25日)

 人称代名詞(にんしょうだいめいし)が一般的な用語だと思っていたが、手元の広辞苑を引くと「人代名詞に同じ」とあるではないか。少し驚いた。人代名詞は「じんだいめいし」と読み、「代名詞のうち、事物・場所・方向を指示する指示代名詞に対し、話し手との関係概念を表現し、人を指示するもの。「われ」「わたくし」(第一人称)、「なんじ」「あなた」(第二人称)、「かれ」「あのかた」(第三人称)、「たれ」「どなた」(不定称)などの類」と説明している。
 この説明内容は当然のこととして知っていたが、これらを抽象的あるいは包括的に言う言葉は「人称代名詞である」と疑ったことはなかった。いつの間に「じんだいめいし」と呼ばれるようになったのか。
 このことはさておき、諸井 薫氏はそのエッセイでは、自分を示すのに「男」を使っている。少なくとも私の手元にある数冊のエッセイ集ではそうなっている。つい先日に図書館から借り出したエッセイ集「いい人生とは何か」(角川書店)でも「男」を使っていた。
 最初の頃は少し違和感があったが、「私」だとあまりにも自らの生身が表に出てしまう。「男」という一般的な用語を使うことにより主張や発言内容をちょっとオブラートに包み、読者のあなたもそうではないですか、というような思いをさりげなく表に出す。このような意図があるのでは、と思い始めた。
 同じようなことを小川 糸さんの「ツバキ文具店」(幻冬舎)でも感じた。作者は主人公の祖母を「先代」という名詞を使って表現していた。確かに主人公がいま行っている仕事は祖母から引き継いだものであるため、祖母が「先代」であることには間違いがない。しかし、作者は仕事に関係すること以外でも、祖母という単語を用いずに「先代」で通していた。仕事も含めて人生に大きな影響を与えた祖母に諸々の深い念、思いを持つと共にその仕事を敬意を持って引き継いでいる自分であることを「先代」という言葉の中に含ませているようにも思ったが、果たして正解か。
 これはちょっと前二例とは異なるが、私は手紙や葉書の文章さらには私的なコラム、エッセイや旅行記の文章の中では配偶者を示す言葉として「妻」を使う。彼女の名前や妻を意味するその他の表現を使うことはない。日常的に使っている「妻」と言う言葉が、私にとって一番親しく本人やその人格を示すと思うからだ。