本を処分する

本を処分する

KEI(2021年10月27日)

「本とわたし」というテーマで落としてはならないのが、本の処分である。古き良き時代にあっては、商店街の片隅や大学の近くに古本屋があり、それらが地味ではあるが古本の売買を始めとする古書の流通に大きな力を貸していた。これらの店と客との間の人情味あふれる諸々を書いた文章を幾つも読んだ記憶があるし、町の古本屋や専門書を扱う古書肆の主人の経験談を書いた何冊かの本は一時期私の愛読書だった。
 有名な神田古書店街、早稲田古書店街、阪急古書のまち等は存在するものの、最近では街中で古書店を目にすることが少なくなった。我が家の近くにあった3軒の古本屋も全て姿を消した。
 そこで老前整理の一環としての本の処分が問題になる。結果的には蔵書を涙を呑んで資源ごみとして処分することになるのだが、何か得体のしれない申し訳なさが心を過(よぎ)る。文字の神様に申し訳ないような気がする。と言っても私が死んでしまったら残された家族にとっては無用の長物であることには間違いがないのでその手間を省くためにも処分しなければならない。
 ということで現在では気が向いたときに資源ごみとして100冊単位で不要図書を処分しているのだが、一旦処分対象と決めたものの保存対象へと気持ちが変わることが多く、処分は遅々として進まない。
 これらを行っているときに、私が保存対象と決めた本は、その中身を知悉している本やそこに書かれている文章を記憶している本が多い、ということに気が付いた。
 逆に処分対象とした本は、そのテーマや著者には現在でも関心があるが、読んでいない、読んだ記憶はあるが内容は全く覚えていない本である。読んでいない本を捨てるのは誠にもったいなく著者に申し訳ないことではあるが…。
 あるとき全国展開をしている新古書店がインターネットで買取業務を行っていることを知った。本の裏表紙に2つのバーコードがある本だけが対象だが、段ボール箱に詰めておけば送料無料で引き取り、値段を付けてその額を振り込んでくれ、値段の付かない本は無料で処分してくれる、とホームページに書かれていた。
 評価額は極めて低いだろうし、引取手数料も念頭に評価されるだろうから最終的な買取額は微々たるものになるだろうが、もしその中の一冊でも古本として市場に出回ることにでもなれば「著者や出版社にも申し訳が立つ」程度の軽い気持ちで取り敢えず、ミカン箱4箱の荷物を作りインターネットで連絡した。
 何日か後に連絡を受けた買取額は予想通り微々たる額であったが、買取対象となった本一冊ごとに1円あるいは5円と明細が付されていたのには笑った。0円という本も多くあった。
 しかし、本来なら資源ごみとして処分される運命だった何冊かは新たな読者の手に渡る可能性が出たわけで、その意味では書物を処分する罪悪感が少し薄れたようだ。
 頭の中で次に処分する本はあの著者のあのシリーズ物、あのことを論じた何冊かの本と考えていても、現実に書棚にある現物を目にすると処分を躊躇(ためら)ってしまう。
 処分したとしてももし将来読みたくなれば近くには図書館もあるし、再び手元に置きたくなれば購入できるだけの小遣いもある。このように考えても、心の葛藤は納まらない。我が心の中の保存派と処分派の対立はいつまで続くことやら。