本棚の飾り物
最近ではあまり見かけなくなったが、かつてはいろいろな出版社からシリーズ物の世界文学全集がよく出版されていた。何種類の全集があったのか、これが全部だと保証はできないが、ちょっと調べたところ1960年代から現在に至るまで14種類の世界文学全集が出版されている。世界文学全集とは銘うっていないが正続81巻の「世界の名著」もある。
ご多聞に漏れず、私も筑摩書房が1964年から2004年にかけ刊行した全54冊から成る「世界古典文学全集」を所有している。ご想像のとおり読むこともなく本棚の飾りになってしまっている。
これらの全集については「もともと読破するものではない。この出版形式が創始された当初は『いつか思い立った時すぐ読めるように手元にそろえておく』という心意気を趣旨とした」(読書人の壺中25頁)という好意的な見方もあるが、結果的には「いつか思い立った時」が到来することなく、最後には本棚の飾り物になってしまっている。
この飾り物となってしまった全集とどのように付き合うか。今更全巻を読み通せるわけはないし、そして悔し紛れに言うのだが、これから全巻を読破することがそれほど大切だとも思えない。そこで、折角手元にあるのだから、実際に手に取り、挟まれている月報を読み、その後1ヶ月間は机の傍に置き、折に触れてあちらこちらと覗き見する、こととした。
今、机の傍らには「三国志1」(24A)(三国志演義ではなく三国志の魏書の前半部)が置かれている。内容を眺めてみると、本文と同じ大きさの字体で書かれた注がやたらと多いのに気が付いた。注の方が本文よりはるかに多いような感じである。一瞬「本文だけなら読み通せるかな」と思ったほどである。これから1ヶ月間、ときどき適当なところから目を通そう。目を通すのに飽きれば、そこで終わりとし、次回は違った場所からスタートしよう。そして1ヶ月経ったら別の本を持ってこよう。
古典については「古典の味読が読書生活の真髄である」という意見を聞いたことがある。この原則そのものは否定し難いとしても、多くの人は外国語の古典は翻訳で読むことになる。この翻訳が問題をもたらす。読んでよく解らない翻訳に当たったときには、理解に難渋し、読むのを諦めることになる。私も何冊もの読むのを途中で放棄した外国の小説がある。
しかし、翻訳も進歩する。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にしてもかつての翻訳と比べて圧倒的に読み易い翻訳が現れた。亀山郁夫氏による光文社古典新訳文庫の5冊本である。新刊状況に鋭敏なアンテナを張り巡らせておけば、いろんな分野の古典について時代の先端を行く、読み易く分かり易い翻訳に辿り着けそうだ。そう考えると全集の意味や価値はなくなってしまい、いよいよ本棚の飾り物になってしまう。
ご多聞に漏れず、私も筑摩書房が1964年から2004年にかけ刊行した全54冊から成る「世界古典文学全集」を所有している。ご想像のとおり読むこともなく本棚の飾りになってしまっている。
これらの全集については「もともと読破するものではない。この出版形式が創始された当初は『いつか思い立った時すぐ読めるように手元にそろえておく』という心意気を趣旨とした」(読書人の壺中25頁)という好意的な見方もあるが、結果的には「いつか思い立った時」が到来することなく、最後には本棚の飾り物になってしまっている。
この飾り物となってしまった全集とどのように付き合うか。今更全巻を読み通せるわけはないし、そして悔し紛れに言うのだが、これから全巻を読破することがそれほど大切だとも思えない。そこで、折角手元にあるのだから、実際に手に取り、挟まれている月報を読み、その後1ヶ月間は机の傍に置き、折に触れてあちらこちらと覗き見する、こととした。
今、机の傍らには「三国志1」(24A)(三国志演義ではなく三国志の魏書の前半部)が置かれている。内容を眺めてみると、本文と同じ大きさの字体で書かれた注がやたらと多いのに気が付いた。注の方が本文よりはるかに多いような感じである。一瞬「本文だけなら読み通せるかな」と思ったほどである。これから1ヶ月間、ときどき適当なところから目を通そう。目を通すのに飽きれば、そこで終わりとし、次回は違った場所からスタートしよう。そして1ヶ月経ったら別の本を持ってこよう。
古典については「古典の味読が読書生活の真髄である」という意見を聞いたことがある。この原則そのものは否定し難いとしても、多くの人は外国語の古典は翻訳で読むことになる。この翻訳が問題をもたらす。読んでよく解らない翻訳に当たったときには、理解に難渋し、読むのを諦めることになる。私も何冊もの読むのを途中で放棄した外国の小説がある。
しかし、翻訳も進歩する。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にしてもかつての翻訳と比べて圧倒的に読み易い翻訳が現れた。亀山郁夫氏による光文社古典新訳文庫の5冊本である。新刊状況に鋭敏なアンテナを張り巡らせておけば、いろんな分野の古典について時代の先端を行く、読み易く分かり易い翻訳に辿り着けそうだ。そう考えると全集の意味や価値はなくなってしまい、いよいよ本棚の飾り物になってしまう。