書籍の処分

書籍の処分

KEI(2019年7月24日)

「黄ばみゆく本愛かなしめど再読の意欲をそぐや文字の小さき」
 作者は米子市の永田富基子さん、選者は毎日歌壇の篠 弘氏。選者の評は「かつて愛読した文庫本などを開くと、この活字をよくもこなしたものだと驚く。きわめて普遍性をもつ嘆息だ」
 永田さんのこの歌は、昔に買った書籍をときどき取り出して「つまみ読み」している最近の私にとって「我が意を得たり」と思ったことである。そして、小さな活字がぎっしりと詰まった本を内容もぎっしりと詰まっているに違いないと単純に考え喜んで買っていた昔を懐かしく思い出した。
 と同時に、どなたの言だったか「老齢期に至った時に読書を楽しもうとするならば、今から活字の大きなしっかりとした装丁の書物を選んでおく必要がある。歳を取ってからは文庫本など読む気にはならない」を思い出した。
 とは言いながらも、年齢を考えた場合、「黄ばみゆく本」「文字の小さき本」だけでなく、手持ちの書籍の多くを処分しなければならないことは、明白である。
 いま改めて、書誌学者故谷沢永一氏の「書物を処分したことがないと誇るウツケ者は、熱意と好奇心がおとろえて、新しい本をほとんど買わなくなった知的隠退者にきまっている」という言葉が身に沁みる。つい先日まで「書物を処分したことがない」と誇っていた「ウツケ者」である私にとって身に沁みるだけでなく耳が痛い。
 ところが処分する方法がこれまた難しい。「老前整理」(坂岡洋子)や「『捨てる!』技術」(辰巳渚)と銘打った指南書も、(少なくとも、私の蔵書に関しては)現実にはそれほど役に立たない。
 最近流行(はやり)の「新古書店」では買い取りの対象外であり、近くにあった古き良き時代の「古本屋」は全て無くなったという状況では、廃棄処分しか打つ手はない。
 ということで、時々、現在の私の関心の外にある比較的古い書籍を100冊単位で資源ごみの回収時に、心を鬼にして処分しているが、処分する書籍の選択に手間取り、なかなか進まないのが現実であり、悩みである。