愛読書

愛読書

KEI(2019年7月10日)

 愛読書という言葉は最近でも使われているのだろうか。「あなたの愛読書は何?」「漱石です」などといった会話はあるのだろうか。
 もし今ここで「KEIさんの愛読書は?」と聞かれたら、私は何と答えるのだろう。
 寝床の中で深夜のラジオ放送を聴きながら、このようなことを考えた。
 繰り返し読んだ本はある。どこに何が書かれているかをはっきりと思い出せる本もある。手に取ると友との会話を思い起こさせる本もある。私の生き方についてその基礎や幹を作ってくれた本も数多くある。
 しかし、よく考えて見るとこれらそれぞれの本の全てが心に残っているのではなく、全体のほんの一部分の内容やたった一行の文章、一つの言葉が心に残っているだけのように思われる。
 今は絶版になっているだろう鶴見祐輔の「子」では主人公が友人と「イギリスの詩人テニソンが親友ハラムの死を悼み作った追悼詩であるイン・メモリアム」について語るくだり、
 日章丸事件に題材をとった石原慎太郎の「挑戦」に書かれた若き主人公を評する年配者の言葉、
 第一次世界大戦前にフランスで学んでいた中村光夫の「戦争まで」に描かれている各国からの留学生との知的な交流風景とそこで交わされている北欧からの留学生との会話、
 などはよく覚えている。
 渡辺昇一のベストセラー「知的生活の方法」からは書庫、書物、保管を始め具体的な知的生活についてのさまざまな事柄に関する有益なヒントを得、実行した。
 今ではサンダーバードと名前が変わった北陸本線を走る特急雷鳥号の絵が描かれた絵本のなかの「あかいおひげのとっきゅうれっしゃ らいちょうごうは…」や「たろとなーちゃん」の中のデイジーの話も昨日のように記憶している。
 だからと言って、これらの書物が私の愛読書だというには少し抵抗がある。
 雨の日の午後、ゆったりとした気分で、紅茶を片手に雨音を聞きながら手に取るような本が愛読書なのだろうか。
 それなら現在の私にとっては明治・大正期の詩集となるのだが。
 昔、「あなたが無人島へ流されるとしたときに持って行く本は」というような質問があり、多くの著名人が答えていたのを覚えているが、聖書以外にはどのような本が挙がっていたのだろう。しかし、これら名前が挙がっていた本は本人にとっての愛読書だったのだろうか。