越後路のとなり
「越後路のとなり」とは? 最後に絵解きされるまで解らなかった。
故阿川弘之とその娘の阿川佐和子との共著になる「蛙の子は蛙の子…父と娘の往復書簡」(1997年、筑摩書房)を面白く読んだ。
愛について語っている中で、佐和子氏は「以前、ある雑誌に書かれていたのを読んだのですが、そもそも日本に英語が入ってきた当初,“I love you”のことを、『私はあなたが大切です』と訳していたというのです。これはいいなと思いました」と書き「だって愛しているより、ずっと意味が明確で、気持ちがよく伝わってくる」としている。
私は今までこのような訳を考えたことはなかった。佐和子氏の感覚に感心した。
弘之氏は「『愛』は外来語で、我われ日本人の言語感覚にしっくりこないせゐじゃないだろうか」と書きつつ、この文字は大変古い文字であることをいろいろと例を挙げて教えてくれる。江戸期の滑稽本や浄瑠璃本は言うに及ばず、室町、鎌倉、平安朝とさかのぼって、日本でもずいぶん古い典籍に「愛」が出て来ると言う。
そして「ただ万葉集には用例が無いようだな、万葉集では『をしむ』、『こふる』、『かなしぶ』と詠んでいる」と丁寧である。
最後に漱石の「三四郎」の中の「Pity’s akin to love」を「可哀想だた惚れたってことよ」と訳す話については、小説中のこの件(くだり)を覚えており、機会があればこのような訳をしてみようと考えていた受験生の頃を思い出させてくれた。
さすがに文化勲章受章の大作家の見識や知識は大したものである。ところで、弘之氏の手紙の表題が「越後路のとなり」となっていたのが、どうして「愛について」なのか最後まで理解できなかった。
大作家が提供してくれていた鍵の意味を理解できたのは、愛についてとはあまり関係のないと思いつつ、最後の海軍でのモールス符号の教え方の話を読んでしばらく経った頃だった。
海軍ではモールス符号でaは・―だから「恵方」と覚えさせる、bはというように説明した後、短符四つ・・・・のhを教えるのに「越後路」として記憶させた。hの次のiは・・で「愛」として記憶した。それで「越後路のとなり」は「愛」という訳だ。
これが答だった。
故阿川弘之とその娘の阿川佐和子との共著になる「蛙の子は蛙の子…父と娘の往復書簡」(1997年、筑摩書房)を面白く読んだ。
愛について語っている中で、佐和子氏は「以前、ある雑誌に書かれていたのを読んだのですが、そもそも日本に英語が入ってきた当初,“I love you”のことを、『私はあなたが大切です』と訳していたというのです。これはいいなと思いました」と書き「だって愛しているより、ずっと意味が明確で、気持ちがよく伝わってくる」としている。
私は今までこのような訳を考えたことはなかった。佐和子氏の感覚に感心した。
弘之氏は「『愛』は外来語で、我われ日本人の言語感覚にしっくりこないせゐじゃないだろうか」と書きつつ、この文字は大変古い文字であることをいろいろと例を挙げて教えてくれる。江戸期の滑稽本や浄瑠璃本は言うに及ばず、室町、鎌倉、平安朝とさかのぼって、日本でもずいぶん古い典籍に「愛」が出て来ると言う。
そして「ただ万葉集には用例が無いようだな、万葉集では『をしむ』、『こふる』、『かなしぶ』と詠んでいる」と丁寧である。
最後に漱石の「三四郎」の中の「Pity’s akin to love」を「可哀想だた惚れたってことよ」と訳す話については、小説中のこの件(くだり)を覚えており、機会があればこのような訳をしてみようと考えていた受験生の頃を思い出させてくれた。
さすがに文化勲章受章の大作家の見識や知識は大したものである。ところで、弘之氏の手紙の表題が「越後路のとなり」となっていたのが、どうして「愛について」なのか最後まで理解できなかった。
大作家が提供してくれていた鍵の意味を理解できたのは、愛についてとはあまり関係のないと思いつつ、最後の海軍でのモールス符号の教え方の話を読んでしばらく経った頃だった。
海軍ではモールス符号でaは・―だから「恵方」と覚えさせる、bはというように説明した後、短符四つ・・・・のhを教えるのに「越後路」として記憶させた。hの次のiは・・で「愛」として記憶した。それで「越後路のとなり」は「愛」という訳だ。
これが答だった。