「絵具屋の女房」

「絵具屋の女房」

麻(2025年6月11日)

絵具屋の女房

 私は2012年に87歳でお亡くなりになった丸谷才一さんの歴史的仮名づかひで書かれた文章が好きです。目に付いたほとんどの書物を買っています。この「絵具屋の女房」(文藝春秋)は読んだ形跡がないものが2冊あります。発行年月から推測しますと、私がかなり忙しく働いていた頃で本は買ったものの読む時間が無く、その内に買ったことすら忘れて2冊目を買ったようです。

 リタイアした今は、時間も十分にあり手に取ったのですが、このエッセイ集はかなり難解で、ちょっとやそっとでは歯が立ちません。
 まず、最初の疑問は本のタイトルです。15のエッセイが掲載されていますが、どこにも「絵具屋の女房」というタイトルのエッセイはありません。いろいろと探し、目次の前の頁の下部に「はじめての文房具屋を見つけると、胸が躍る。……絵具屋に入るのも好きだ。色も色の名前も心を刺激する。油絵や水彩画はもう描かないから、チューブ入りの絵具やパレットを見て懐かしい思ひにひたる。何も買はないで出るのは悪いから、絵葉書を買ふ」とある12行の文章を見つけ、これが「絵具屋の女房」に関係するのだろうと推測しましたが、ひょっとしたら、このエッセイ集は「色とりどりの内容」のものであることを示しているのかも知れません。推理はそこで止まっています。

 この本には、本に関するエッセイとして「本のジャケット」という21頁のエッセイが掲載されています。蘊蓄というか(著者は「計算ずくだよ」とおっしゃるでしょうが、一見すると横道に逸れていくような)数多くの関連事項が書かれており、文章の構成を理解するのにはちょっと骨が折れました。

 このエッセイは「わたしはイギリスの書評を読むのが好きで」という文章からスタートし、イギリスの書評についてその優れている点を「まづ分量がたつぷりある。中味が濃い。そして書きつぷりに藝がある。たとへば終り方にしたつて、日本の書評みたいに、『近年の良書と言へよう』とか、『多少の問題はないでもないが一読に値する好著である』とか、そんな詰まらぬことは書かない」と書いています。
 このような文章で始まるのでこのエッセイは書評についての話かと思うと、続いて、いわゆる本のカバーについて触れ、「英語のcoverは表紙のことで、今の日本のカバーという表紙の上を覆ふもののことを英語ではwrapperといふ」と書き、続けて「これはもちろんその通りなんですが、……dust coverともいふんですね。そしてその延長で最近はfront coverともいふらしい」と続けています。そしてFront Cover : Great Book Jacket and Cover Design(フロント・カバー:すてきな本のジャケットとカヴァー・デザイン)がタイトルになっている本についてのイギリス人評者による書評に戻ります。

 この書評が「余談ではじまり余談がいつまでもつづく」とし、9頁に亘ってその書評を紹介しつつそこに書かれた余談を楽しんでいます。
 この余談の中では「ジャケット」という単語について、衣装としてのジャケットという言葉の使われ方を述べるとともにポテトの皮をジャケットということも「Potatoes boiled in their jackets といふのは『皮つきのまま茹でたじゃがいも』」と教えてくれます。さらに「ジャケットを着るのはポテトのほかにもう一つ本がある」とも。

 ここまで紹介して丸谷さんは「やれやれ。これでやうやく書評の主題に到達した」と書き「しかしここまでの奔放さはまるで脱線ぶり、面白かったですよ」としています。
 最後に書評で紹介された本を入手し、そこに掲載されているラパーを話題にした自らの意見やラパー論に続けます。最後は最近の本のラパーに付けられているバーコードやISBN数字を付ける場所について英米の例を持ち出し、自らの考えを述べています。
 このエッセイでは、話は“あっちへ飛びこっちへ飛ぶ”ように移動しますが、よく読むとわき道に入っても話は元に戻ります。私は翻弄されながらもラパーについての幾つかの知識を得ました。そして日本の書評についても「もう少し読ませるようなもの、書評自体が読み物になっているようなものが欲しい」と思ったことです。

 読み終えた後の感想。「あーあ、しんどかった」「頭の体操になった」。