「音をたずねて」
三宮麻由子さんのエッセイを久しぶりに読んだが、この「音をたずねて」も、彼女の世界に耳を澄ますように入っていけるのが面白い。
“鈴の音色はどこから来るの?” に、友人と二人で江戸風鈴を作りに行ったときのことが書かれている。八月下旬という酷暑に、ガラスを溶かす炉のある工場に風鈴作り体験をしに行ったというのにあきれたが、挿入されている彼女の俳句の涼しさとのギャップも面白いと思う。
- いま生れし風鈴の音の涼しさよ
- 竹風鈴翅休めをり籠の鳥
- 村人にすずめ踊りの笛太鼓
- こひ猫の粗く鈴振り垣を出ず
- 秋すずし店に溢るる魔除け鈴
美しい音色を作るには、下に向かってガラスを肉厚にしなければならないというのはこのエッセイで初めて知ったが、厚さの加減を調整しながらガラス管を吹くことなど、多分彼女には無理なので、どういう状態になっているのかを教えてもらいながら吹いたのであろう。興味を持つ対象の広さにも驚くが、行動する意欲にも感心する。
ほんとうに今でも117と押せば時報を教えてくれるのかと思い、つい確認してみたが、ちゃんと聞けるのに感心した。このサービスの最初の頃は「只今から」と言っていたのを、今は「午前○時○分○十秒をお知らせします」というように、午前と午後を分けるようになったそうだ(利用者の要望を汲んで変更されたということである)。
“時報のお姉さんに会いに” で、私も昔、腕時計の時刻を合わせるのに電話で時報を聞いたのを思い出した。スマホで用が足りるので、何年も前から腕時計は使わなくなったが。
ほんとうに今でも117と押せば時報を教えてくれるのかと思い、つい確認してみたが、ちゃんと聞けるのに感心した。このサービスの最初の頃は「只今から」と言っていたのを、今は「午前○時○分○十秒をお知らせします」というように、午前と午後を分けるようになったそうだ(利用者の要望を汲んで変更されたということである)。
三宮さんはこの項で、「特に、言葉に対する私の世界観をがらりと変えたのが、鼻濁音の指導だった」と書いているが、私の場合は、このおかげで日本語の発音というものに対する世界観が初めて開けたのだった。同じ濁音の文字でも、鼻濁音で発音すべき言葉があるなんて考えたこともなかった。
“芭蕉さんってどんな声?” で、私は特にそういうことにまで興味を惹かれないのだが、三宮さんは、独特の感性と繊細さで対象を知り尽くしたくなる性格なのだなと思う。松尾芭蕉は彼女が俳句を勉強し作句を始める大きな動機となった人であろうが、私の場合は、どんな声の方だったのかというような面にまで関心が及ばない。
他に挿入されている彼女の俳句では「お茶の香りを聞いてみる」という項に次の二つがある(ルビは、mucaのおせっかい)。福建省にある武夷山の岩茶の力強さなど、中国茶や台湾茶の入れ方や香りについて、私は想像するしかないが、実に深いものがあると知ることができた。
- 春宵やラデンの椅子に台湾茶
- 日本の春水汲みて中国茶
三宮さんの世界を知るのは楽しいのだが、書いておられることに共感しつつも、著者と私の違う面をも意識しながら読んでいることの面白さにも気付かせてくれる。