想像の自由を採用した本

想像の自由を採用した本

M・M(2025年12月10日)

 ……極北の海獣をめぐる壮大な物語だ。実物はヘルシンキの自然史博物館に展示されている。史実にそって想像の自由を採用し枝葉が伸びた物語。フィクションとノンフィクションのあいだを、著者はどれほどの資料を集めても埋めきれないものと述べている。それは実際にその時代を生きた人々の心のひだや、そこを想像の力で補って骨太の作品世界を構築した力のある著者が本心から思うからか。いや、すごい。
 そこまで心を寄せて登場人物を描いてあるので、人の出入りが自然だった。まるでドアから出てきて仕事や活動をして自然にドアをくぐり去っていく。そして次の場面もそのようにし時代が続く。海獣にかかわる人々に適度な距離を保ち、科学的要素や歴史の説明を加える。

 海獣(骨格)展示を観る親子の場面(現代)

「次の部屋へ歩みを進めれば、この動物は巨大さにおいて、ザトウクジラの堂々たる体躯にも引けを取らないことが見て取れるだろう。その大きさこそが、人々の目を引きつけるのだ。子どもたちは駆け寄って歓声をあげる。「恐竜だ!」それを何より熱烈に期待しているからだが、親たちは首を傾げる。フロアマップには目を通した。先史時代の生物の展示は三階で、ここではない。そこで大人はかがみ込み、プレートに書かれている名前を、わが子のために一音ずつ区切って読みあげてやるー

   ステラーカイギュウ(海獣)

 ……ロシア領アラスカ総督ハンプス氏の仕事は重責だ。妻アンナをともない居住する。しばらくして総督の妹で病弱なコンスタンスを引き取る。この妹に割り当てられた仕事は剥製のコレクションの整理整頓。この妹に著者が心を寄せ想像の自由を膨らませた部分に私は心惹かれた。彼女は病弱なうえ知識を与えてもらえずにいた。しかし、この剥製と接したことで、彼女は動物とアラスカの自然を知る。剥製の動物たちはそこで辛抱強く待ってくれることにより、彼女は根気よくなった。自分自身の時間の使い方や物事への接し方、環境の変化で学び生かされた。いつしか、コンスタンスやアンナがドアから去っていく。私は二人が去ってしまい悲しくなる。同時に一つの時代を生き最終的に満足であったろう生にうなずく。著者に共感する。
 この章で発掘された海獣(骨)は次の時代に受け継がれて行く。

 ……女性画家ヒルダ・オルソン嬢は正確に描写をする。その才能を見込まれて動物学教授の助手として節足動物を描く。時代は女性の名前を冠付けしない。日本でも葛飾北斎の娘応為がそのようである。教授が去ったあと、オルソン嬢は自身の作が教授(雇用主)の名前で登録されていたことを知る。四百五十四種のクモと一頭のカイギュウなどなど。これは悲しい。オルソン嬢は才能がありながら失職し続ける。しかし絵を描き諦めずに求職を続け英国で採用される。スケッチのためにロンドン郊外の植物園を訪ねる。ふたたび一日中絵を描いて過ごせるようになった。本業は節足動物の描写。植物や動物の絵を描き込んだとき、一番隅の植物の葉に、小さなクモを一匹添える。画家のオルソン嬢の名前は人々に知られないが、満足なようすがとても嬉しくなる。ここも適度な距離から見守るように筆を使った著者の感性であろう。

 ……最後に。標本管理士ヨン・グレンヴァル。鳥たちのために島を借り狩猟禁止地域として保護活動を開始する。卵コレクションのヨンは鳥類学協会などに出向き情報を収集し仕掛け網の点検修理などをする。教会装飾の仕事から博物館にスカウトされ移る。鳥類収集(皮や卵や巣)と保護の両極に悩みながら暮らすうちに、海獣の修復をまかされる。ヨンは優秀な修復士だ。ヨンの前に修復をした剥製師マルティン・ヴォルフ(コンスタンスの時代で90年前)たちの修復は美しく印象的だ。緻密な仕事ぶりだが誤りがある。その頃わかりようもなかったことがヨンの時代には問題がわかる。特にカイギュウの手は骨を収集した者の不注意でその後の指探しは困難をきわめる。不足部分をヨンが石膏で作った部分は周囲の骨に溶け込んでいる。完成だ。同時に鳥類保護活動も終わりを迎えた。ヨンたちの協会が鳥を守ってきたが、国の法の庇護のもと守られるように決まった。そうしてヨンもまたドアの向こうに去っていく。ヨンがカイギュウを修復中に書きとめた美しくも読みにくい筆跡のメモ…が見つかる。最後まで著者は人々の心によりそい、ひだをいくつも丁寧に書きこんだ。海獣を軸に自然と向き合った心温まるこの本をクリスマスのプレゼントに…
極北の海獣 イーダ・トゥルペイネン
古市真由美 訳(河出書房新社)より